平尾という男、やはり只者ではない。

勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)
 私のラグビー観戦歴において平尾誠二は最大のスターだった。ほとんどのゲームをリアルタイムで見てきた。この本の中には「あのとき、平尾はそんなことを考えていたのか」というような話もいくつもあって、それも興味深かった。
 95年平尾は神戸製鋼で7連覇を成し遂げた後、96年1月サントリーに敗れ8連覇を逃した。この本はその後日本代表監督に就任する直前に書かれたもので、選手としてのラグビー人生を総括し、今度は指導者としての次なる挑戦を期して書かれたものである。「わたしの現役選手としてのすべてが、この本にはある」と語っているとおりだ。
 本書は傑出したラガーマンである平尾誠二ラグビー人生を振り返った自伝であり、彼の目指すラグビーとは何かについて書かれている。しかしそれだけにとどまらない。今でこそプロもいるが、当時の日本にはラグビーのプロ選手はいなかった。そういえば日本人初のプロ・ラグビー選手で元東芝府中(現ヤマハ)のスクラムハーフ村田亙が先ごろ引退を発表したばかりだ。
 平尾自身は、アマチュアゆえにビジネスマンとして神戸製鋼で世界を相手に仕事をするという経験持ちえたし、より一般人に近い視点で物事を考えることができた。プロという選択肢がなかったからこそ生み出された組織論・マーケティング論、さらには人生論でもある。そういう意味でスポーツ選手が書いた本としてはユニークな本だと思う。
 元々言葉に興味があったというし、子供のころから「僕はどこから来たのだろう」などと考えていた子供だったというから、平尾はものを考えること、それを言葉で表現することをいとわない人間なのだろう。「言葉というのは『釣り針』のようなもので、相手の心に一度突き刺さったら、抜けないようなものでなければならない」といっているが、言葉の力を信じていなければ――つまり自分の言葉に対して常日頃から意識的でなければ出てこない発言だ。好きで、得意でスポーツ選手になったのだから、何よりスポーツをやることで自己表現することができるというのが普通だろう。平尾も「ラグビーは自分を表現する手段」だと考えているとも書いているから、その例に漏れているわけではないし、現役時代の彼の考え抜かれた緻密さを感じさせながら華麗なプレースタイルにはまさに平尾という男の価値観が表現されていたと思う。それに加えて彼は言葉での表現にも長けていた。ラグビーと言葉という2つの表現手段に精通しているうらやましい男なのである(しかもカッコいい)。
 平尾の言葉や思考は独特だ。いわく、
「バックスのライン攻撃というのは、わたしは『ムチのようにしなる』ものだというイメージをもっている」
「相手がどれだけ強くなっているのかわからないのに、優勝などといっても無意味であろう」
神戸製鋼はゲームをするたびにうまくなる、と言われるが、そんなことはあり得るはずがなく、情報の流し方がうまくて、キャッチする情報が的確なのだ。だから、次のゲームまでに的を絞った練習ができるのである」
 平尾が、ラグビーにおいても生きる上でも、一貫して大切にしていることはまず「自ら考えること、イマジネーションを働かせること」である。そして考えたことを遂行するためには「信じる力を高めること、そのために最大限の努力をいとわないこと」が重要だと平尾は考える。そういうことを考え、しかもそれが大きな効果を生んだのは、彼の選択したスポーツがラグビーだったということと大いに関係があると思う。
 優秀なスポーツ選手はたいてい頭もいいとわたしは思っているが、どんなスポーツでも練習を重ねることで肉体に刻みこませ、自動的・反射的に動かないととても追いつかない部分が少なからずある。訓練によって大きく改善可能なこともあるが、持って生まれた能力への依存が高くて訓練によるレベルアップが困難なことも多い。たとえば100m走などのような、特定の運動能力自体を争うようなスポーツで、かつ1人で行うスポーツほどそ部分の割合は高くなる。
 ラグビーという競技はその対極にある。人数は15人と、アメリカンフットボールをのぞけばチームスポーツの中でもとりわけ多人数だし、ルールは複雑だ。フォワードはレスラーか相撲取りのような体格と腕力が必要とされるが、バックスはスピードやキック力が要求される。こうしたまったく異なる才能や要素をいかにうまく高いレベルで統合できるかが、強さと大きくかかわる。そのためには言葉の力が――考え、イメージする能力が大きな威力を発揮する。異なる考えや価値観を融和させ相互理解を深めるには、コミュニケーション能力が求められるのは当然である。平尾の言う「ラグビーは『関係』を発見するスポーツである」とはそういう意味でもあるだろう。
 今は代表を離れ神戸製鋼ラグビー部のGMという立場だったと思うが、再び代表監督に復帰してほしいと願うのはわたしだけではないだろう。ただ、代表監督という立場では、――前回が失敗かどうかはともかく――そう何度もやり直すというのは難しい。なぜ日本は勝てないのか、充分考えを練りこみ、十全な準備を重ねた上で、今度は満を持しての登場とならざるをえない。
 「優勝するということは、あまたあるラグビーチームのなかで、トップに立つということで、強い、弱いではなく、優勝にふさわしいチームかどうかで決まる、とわたしは感じている」と平尾は言う。してみるとワールドカップで日本が活躍するにはワールドクラスの人間集団にならないといけないわけだ。振り返って日本のラグビー界の現状はこのところさびしい限りである。特に日本ラグビー界の花形といっていい大学ラグビーでその凋落振りが顕著なのは、残念この上ない。
 このところあまりメディアにも登場しないが、「スペースというのは可能性である」――そんな言葉を口にする男の再登場をラグビーファンは待ち望んでいる。