いったんキリをつけたいと思います。感謝とささやかな「お知らせ」

 2005年11月15日から始めたこのブログ。まる4年が経過したことになります。
 「はてな」は割と硬派なブログなので、最初は少し苦労しましたが、その分いろいろ勉強させてもらった気がします。力不足であまり身にはなっていないのが残念ですが。
 とにかく、初めて書いたブログですし、立ち上げた当初は我ながら立派な目的を掲げていましたので、それも続けてこれた一因だと思っています。

 しかしながら、最近はほぼスポーツの話題ばかりになってしまい、そうであるならば、もっと別の形もあるかなと思い始めていました。
 分野横断的に物事をとらえるということは実はとても重要なことだと思っています。このブログがそういうものであったことには大いに意味があったと思っているのですが、ブログを公開する大きな意味はなんといっても多くの方に読んでいただくということです。そのためには頻繁な更新が欠かせません。
 このあたりのバランスが重要なわけですが、なかなか更新できないということはそこに「書こう」というモチベーションを妨げる何らかの理由があるということにほかなりません。
 自分で想像できる理由もあれば、わからない理由も潜んでいるのだと思いますが、このブログについていえば今のやり方が自分の書きたいことと乖離してきてしまったということ、結果的に更新も滞るようになってしまいました。これは自然な流れというべきでしょう。
 実は、「悠々楽園」とは別にブログをいくつか立ち上げています。

「モンチとカメ子 〜うさぎとかめのいる暮らし〜」
「MとAのミュージカル・ランニング日記 ♪♪♪」

 よろしかったらご覧いただければ幸いです。
 というわけで、愛着のあるブログですが、いったんこのあたりでキリをつけることにしました。

 今日、2010年1月12日時点(実質的な最後の更新日です)でページビューが73,342、訪問者数が25,903とカウンターに表示されています。どのくらい正確なのかわかりませんが、訪問の目的や内容はともかくも、のべ数万に上る方に訪問いただいたということには、多少の感動を覚えています。どうもありがとうございました。

 「インターネットってのはすべて過去のことでしょう?」と養老先生がおっしゃる通り、このブログはまさに過去の記録だけとなってしまいますが、新たな訪問者の方にも何がしかの情報や楽しみが提供できたとするならば、これに勝る幸せはありません。「なんだよ、昔のことしか書いてないじゃん」とがっかりされた方がいたら、ごめんなさい。

 ごあいさつが長くなりました。最後までお付き合いありがとうございました。 

「サミング・アップ」  モーム著  行方 昭夫訳

この本の内容を1600字で紹介するのは不可能である

サミング・アップ (岩波文庫)
 「月と六ペンス」「人間の絆」は中学・高校の頃読んでいて、モームは好きな作家だったにもかかわらず、この本の存在をつい最近まで知らなかった。
 これはものすごい本である。64歳、当時としては人生の晩年と意識せざるを得ない年齢を迎えた大作家が、心残りなく人生を終えたいと願い、彼の人生と、人生をかけて考え続けた思考を総ざらえして1冊の本に纏め上げた−−すなわちサミング・アップ(要約)したものである。
 したがって内容は多岐にわたる。まずは彼の生い立ち。それから劇作ならびに芝居の世界についての本音。そして小説論。最後に宗教、哲学について。
 「人間とは何ぞや?」「世界は(宇宙は)どのように生まれ、これからどうなるのか」を知りたかったからこそ、モームは作家を目指したにちがいないのであり、こうした本を書きたいという野望に何の違和感もない。そして彼はそのための努力も怠らなかった。
 まず、その知識、経験の豊かさに愕然となる。実際に携わったのはわずか数年だったが、最初の職業は医者だった。彼はそこで、悲喜こもごもの患者の姿を観察し、心の動きを見つめ、人間の感情や思考について学んだ。その後戦争にも進んで従軍したが、新たな経験を積みたいという明確な意図があった。また、演劇界での成功は世界中を見て回るために十分な経済的な余裕を彼に与え、モームは最大限にそれを生かした。数ヶ国語に通じ、医学生だった彼は自然科学の基礎も身につけていた。アインシュタイン相対性理論ハイゼンベルク不確定性原理はこの本を書いた当時すでに発表されていて、モームも知っていた。その上で40歳を過ぎて、ほとんどの哲学書を読んだという。空いた口がふさがらない。
 しかし、この本が本当にすごいのはその正直さゆえであると私は思う。「誰にも自分についての全てを語ることは出来ない。自分の裸の姿を世間に見せようとした者が全ての真実を語らずに終わるのは、虚栄心のせいだけではない」とわざわざ断ってはいるが、ここまで率直に語ってくれていれば、それ以上望むことはもうあまりない。
 生きている人間や世の中について正直な意見を公に述べるのは、誰にとってもきわめて困難なことだろう。自らが命がけで掴み取った劇作や小説作法の核心をこれだけ正直に書き記すことも普通はありえない。ここに書かれているそれらのことは、どんな演劇論、小説論よりも真実であるにちがいないと私には思えた。年齢だけでなく戦争の予感といったものも影響していたのかもしれないが、後の人生は「もうけもの」といったような潔さを感じる。後世の読者にとっては奇跡のような贈り物である。
 ところで、人生は無意味であるが人はなかなかそのことを認めたがらない、というのがモームの結論である。また最善の人生は農民の人生だと思うとも書いている。私はこの意見にまったく同感である。そこに漁師を加えてもよいとも思うけれど。
さらに、一般的に価値があると信じられている宗教、真・善・美について仮説検証を重ねた結果、人間にとって唯一価値があるのは「善」だけであるようだとも書いている。それが正しいかどうかを今すぐ判断できない

「宇宙生命、そして『人間圏』」 松井 孝典著

「地球にやさしい」という発想が、どれほど無理解で傲慢かということをみんなが知れば世界を少しは変えられるかもしれない。

宇宙生命、そして「人間圏」 (Wac bunko)
 著者の松井先生は、太陽系内の惑星(天体)の起源・進化・現状などを研究し、地球と比較検討することで、地球、さらには宇宙の成り立ちを究明する「比較惑星学」なる分野を切り拓いた世界的な惑星物理学者である。宇宙を研究するということには、必然的に、宇宙に生まれた私たち自身の出自を明らかにしたいという欲求が隠されているにちがいない。この本では、地球や宇宙についての驚きと発見にあふれた話に加えて、「人間(生命)はどこから生まれたか」「私とは何であるか」といった哲学的な問題に関する考察や「人間の未来」についての賢察が、宇宙や生命の歴史を踏まえて語られている。
 人間を中心とする世界??すなわち松井先生言うところの「人間圏」など、地球全体のシステムに包含される「サブシステム」にすぎない。したがって温暖化も食糧危機も人間が困るだけで、地球は何も困らない。46億年の歴史の中で、生命が絶滅に瀕する危機を地球は少なくとも7回以上経験しているという。先般のサミットでは、アメリカ、中国などこれまで温暖化に消極的な国々も積極的な姿勢を見せたが、日本を含め、そこで目標とされた数値など焼け石に水だということを世界中の人が理解すべきだ。
 また、人口100億になれば現在の豊かさ(1990年レベルのアメリカの食生活)を維持できるのはせいぜい100年だと松井先生は試算されている。この100年で世界の人口は4倍の60億となった。このまま行けば21世紀末には確実に100億となると小学生でも計算できる。つまり地球にとどまる限り、人類の未来はせいぜい200年ということになるのである。
(初出 BK-1 2007/06/21)

「アンネの日記 増補新訂版」 アンネ・フランク著  深町 真理子訳

過酷な運命と引き換えに残された人類の宝物。戦争の理不尽さを嘆くだけではもったいない。

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)
 アンネ・フランクという少女の、13歳から2年余りにわたる日記が貴重なのは、それがアンネとアンネの家族および彼女を取り巻く人々の死と引き換えにこの世に送り出されたものだからということは疑いようがない。
 確かに、その1点をもってしても、おおむね平和のうちに長い間暮らしているわれわれが耳を傾けるべき言葉がこの日記にはいくつも含まれている。

 というわけで私もまた、この、おそらくは世界一有名な日記を、「第二次大戦におけるユダヤ人への無差別的な迫害に対するけなげな少女のふるまいや感想」、あるいは「理不尽な運命への怒りや悲しみやはかない希望」といったものばかりが綴られているのだろうと漠然と考えながら読み始めたのだった。
 しかし全然違った。
 アンネという少女は、おしゃべり好きで、気が強くて、現代のわれわれの身近にもときどき見かけるようなオシャマで明るい女の子だった。彼女は「文章を書くことで生計を立てたい」と自分の将来をすでに明確に思い描いていた。利発で健康な普通の女の子だ。

 アンネの生まれた1929年は、イプセンの「人形の家」出版のちょうど50年後だが、当時でもまだ女性が自立するという考えはヨーロッパでも進歩的かつ少数派だったようだ。
 そんな中、家庭におさまり家事や子育てだけをするのではなく、家を出て人の役に立ちたいとアンネは強く願っていた。
 そして何より私の印象に強く残ったのは、彼女がものごとを「自分で考える」人間だということである。それがこの日記を、他にも数多く存在するであろう同時代の日記と一線を画し、60年以上を経た今も世界中の人々が共感をもって読み継いでいる最大の理由だと思う。

 また、普通の思春期の少女の心のうちをかなり正直に記しているという点も、記録として貴重だろう。心だけでなく身体の変化へのとまどいや興味についても赤裸々に――発表するつもりではなかったわけだから赤裸々も何もないわけだが――記している。アンネの性の成熟に対するとらえ方はとても前向きで、生きることの肯定と重なっている。彼女にとって女性として生きることは誇らしく美しいものだった。
 思春期の性にとまどう少年少女たちにとっても貴重な示唆に富んでいる。

 もうひとつ、二千年以上にわたって世界史の中でも特異な運命をたどった――その悲劇のピークがヒトラーナチス・ドイツによる大虐殺である――民族であるユダヤ人の生活や世界に対する見方の一端を、ごく普通のユダヤの家庭の、普通の少女の目を通して知ることができるということもこの本の特筆すべき魅力だと思う。少なくとも私には興味深かった。
 「ひとりのキリスト教徒のすることは、その人間ひとりの責任だが、ひとりのユダヤ人のすることはユダヤ人全体にはねかえってくる」という教訓がユダヤの人々に語り継がれているそうだ。
 あるとき、ドイツを逃げ延びオランダにやってきたユダヤ人は戦争が終わればドイツに戻るべきだという風潮があると知り、アンネもまたそれがどうやら真理であるらしいと認めざるを得ない。
 だが、「善良で、正直で、廉潔な人々」であるオランダ人までもが、ユダヤ人だというだけで色眼鏡で見るということにアンネは納得できない。大きなリスクが伴うのを承知で、アンネたちの隠れ家生活を支えてくれている人たちもまた愛すべきオランダの人たちだからだ。
 アンネはこう書いている。
 「わたしはオランダという国を愛しています。祖国を持たないユダヤ人であるわたしは、いままでこの国がわたしの祖国になってくれればいいと念願していました。いまもその気持ちに変わりはありません!」(1944年5月22日の日記)
 オランダを「美しい国」と呼ぶアンネの一番の願いは「ほんとうのオランダ人になりたい」(1944年4月11日の日記)ということだった。
 民族間の歴史的な確執は世界中に存在する。今後も存在し続けるだろう。個と個の間では軽々と乗り越えられることも多いのに、民族と民族、国家と国家の間ではしばしばそれは容易ではない。
 私がオランダ人なら、涙なしにアンネのこの言葉を聞くことは難しい。だが現実にはしばしばこういうことは起こりうる。

 「隠れ家」での2年にわたる逃避生活は、物質的にも精神的にも次第に困窮を極めていく。同じ戦時といっても、ユダヤ人でないオランダ人やドイツ人とは全く異なる苦しさだった。
 アンネの書きたかった大切なことのひとつが、そうした過酷な状況にあっても自分たちにはごく普通の日常があり、希望があったということなのである。
「毎週の最大の楽しみと言えば、一切れのレバーソーセージと、ばさばさのパンにつけて食べるジャム。それでもわたしたちはまだ生きていますし、こういうことを楽しんでいることさえちょくちょくあるくらいです」(1944年4月3日の日記)
 1944年7月22日の日記では、ヒットラー暗殺の未遂事件に触れ「やっとほんとうの勇気が湧いてきました。ついにすべてが好調に転じたという感じ」と希望を熱く語ってさえいた。
 しかし、私にはこの事件がアンネたち隠れ家の8人と支援者たちが連行される引き金になったという気がする。ヒトラーはさらに国内反対勢力への警戒を強め、ユダヤ人へのお角違いの憎悪を増幅させた可能性があるからだ。
 わずか2週間後の8月4日、車から降り立ったゲシュタポに連行され、数日後にはアウシュヴィッツに送られる。その後移送され、極度に衛生状態が悪かったというベルゲン=ベルゼン強制収容所で、数日前に先だった姉のマルゴーを追うように蔓延したチフスのためにアンネも亡くなったそうだ。1945年2月から3月の頃と推定され、これはイギリス軍による解放のわずか1か月前のことだという。
 8月1日付の最後の日記でも、自分の内に抱える矛盾について、アンネはいつもと同じようにどこか楽しげに思索を巡らしたり、アンネの快活さを揶揄する家族への不満を訴えたりしている。そのころにはもう危険が身近に迫りつつあることは間違いなく意識していたはずだ。いつも野菜を届けてくれていたオランダ人支援者が逮捕されるという事件が少し前に起こっており、アンネもまた大きなショックを受けていたのである。
 「隠れ家」にあっても、どこにでもいるごく普通の少女の日常の暮らしがあり、不満があり、笑いがあり、喜びがあったのだ。ただ毎日仔猫のように震えて、びくびく過ごしていただけではない。他人から見れば、短くて、悔しくて、辛いことも多かったかもしれないけれども15年余りの人生をきちんと生きていたのである。アンネはそのことを認めてほしかったのだろうと思うし、この日記がその何よりの証左ともなった。

 個人的には、以前読んだケルテース・イムレの「運命ではなく」で語られていた強制収容所での「不幸ばかりではない日常」の暮らしという感覚を、この日記を読んで再確認できたということにも意義があった。
(初出 BK-1 2009/06/27)

「東京奇譚集」 村上春樹著

天才的職人の技に気軽に酔いしれる幸福

東京奇譚集
 この本を手に入れたのはずいぶん前のことだ(というわけでもう文庫になっちゃってるんですね)。最初の「偶然の恋人」を読み、期待通りの面白さに舌を巻き、次の「ハナレイ・ベイ」を十分に味わい、満ち足りた気持ちになり、たとえばディズニーランドで買ってもらったクッキーをいっぺんに食べるのがもったいなくて2枚食べたところでやめにして、明日また缶を開けて食べるのを楽しみにしている子供のごとく、「いっぺんに食べちゃう――いや読んでしまうのはもったいない。さあて、次はいつ読もうかな」と大事にしまっておいたのだが、あんまり大事にしすぎて、そのまま食べるのを――いや読むのを忘れてしまっていた。

 村上龍がどこかの雑誌か何かで、村上春樹のことを評して次のように語っていたと記憶している。たぶん親・龍(反・春樹)的な色合いの強い人たちによる座談会での発言だったと思う。
「春樹さんはうまいんだよね」。
 親・龍的な人たちの反・春樹的な心情は相当過激だった気がするが、このときも含めて村上龍本人が村上春樹の人や作品を悪く言ったりするのはほとんど聞いたことがない。その作風や取り上げる素材において共通するものの少ない二人だが、村上龍村上春樹をきちんと認めていると思う。

 今回、続く「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「日々移動する腎臓のかたちをした石」「品川猿」と読んだのだが、あまりの面白さ、見事さに感動し、さらに冒頭の2遍も再読した。
 小説を読む、あるいは物語に聞き入ることの原初的な面白さの典型のひとつが間違いなくここにある。当代随一の短編作家は村上春樹だと言ってしまいたくなる。しかも、その圧倒的な面白さにもかかわらず、単なるエンタテイメントに堕していない。書き下しの「品川猿」だけ、途中で突然“羊男”的“品川猿”が登場して、ナンセンスな物語となるけれども、他の作品は「奇譚」という表題にふさわしい不思議なエピソードをモチーフにしながらも、背景として選ばれた時空は現代のノーマルな日常である。といっても何もSFやナンセンスが悪いとか価値がないと言いたいわけではない。むしろそうした要素や表現方法は元来物語に不可欠なものである。ただそこに必然性がないと物語は薄っぺらで、言うなれば子供向けの駄菓子のようなものとなる(子供にとってはうれしいけれど)。
 誤解を恐れずに言えば、村上春樹はポーや芥川の正統を継ぐ短編作家でもあると改めて思った。再び誤解を恐れずに言うなら、(本人も言うように)村上春樹を天才というのはなんだかどこか憚られる。少なくとも短編に関して言うなら、むしろ職人的な――それも天才的な職人としての作家というのがふさわしいのではないか。村上龍の「春樹さんはうまいんだよね」という評価がこうした意味を含んでいるのかどうかはわからないが、当たらずとも遠からずであると私は思っている。
 吟味した素材を使って、手入れの行き届いた道具を用い、細心の注意と集中力を注いで作品を作り上げる。人々はそれを棚から取り出し、手にとって、矯めつ眇めつ眺めたり、時には使ってみたりする(職人の作った道具も今では美術館に収蔵される場合も少なくないが)。
 考えてみれば、もともと物語とはそんな愛着のある身の回り品のようなものだったのかもしれない。一通り楽しんだら大事にしまって眺めてるのも悪くないが、それが見事なものであればなおのこと、ときどき取り出して使ってみることの贅沢は至福の時間をもたらす。
(初出 BK-1 2008/12/29)

「14歳からの哲学」 池田 晶子著

14歳でこの本を手に取るチャンスを得たあなたは幸せだ

14歳からの哲学 考えるための教科書
 もう5年も前に出た本だし、著者の早すぎる死とも相まって大きな話題にもなったので、この本についてはすでに多くの書評や感想が出尽くしている感がある。好意的な意見があり、批判的な意見があり、この本を手に取ろうかどうしようか迷っているあなたはその中から自分が信じられる書評を参考にすればよいだろう。いろいろな意見がありすぎて、逆に迷ってしまうかもしれない。書評に限らず、真贋を見抜くというのはなかなかに難しい(本書で池田さんは「本物を見抜ける人間になるためには、自分が本物にならなくてはならない」と書いています)。

 私はあなたにただこう言いたい。もしあなたが14歳なら、こういう本を若いうちに手に取る機会があり、この本に書いてあるようなやり方で考えることに興味を持てたなら、人生はきっと豊かで面白いものになるだろうと(それが世間的な幸せと一致するかどうかはわからないが)。

 この本に対する読者の批評として、「まだ物事をよくわかっていない子どもを、恣意的に誘導しようとしている」「14歳に読ませるならもう少し教育的な内容にすべきだ」といった感想が割と多いのはうなずける。
 真実を知るということは絶対的には素晴らしいことであるはずだけれど、考えようによっては実は恐ろしいことでもある。真実はしばしば厳しく美しい。真実の峻厳さはそうでないことを寄せ付けない。
 上述のように感じてしまうとすれば、「大人は正しいが子供はしばしば間違いを起こすものだ」とか「14歳に真実を正しく理解することができるかどうか疑わしい(大人なら正しく理解できるけど)」といった意識があるからだろう。
 しかし、実はそういう考えは必ずしも正しくない。年長の者が敬われるべきだという考えの裏付けは、より多くの時間を生きてきたというその点についてだけはまぎれもない事実が――おそらくは――年長者ほどより多くの経験をし、考えを巡らせ知恵を獲得している“はず”だという不確かな根拠でしかない。しかし、実際には子供でもより多様な経験をしていたり、より深く物事について考えたりしている場合はもちろんある。昨今世の中をにぎわすろくでもないニュースの数々を持ち出すまでもなく、大人がみんなものごとの真理についてよく考えていて、正しく行動しているわけではない。
 著者は、本書で取り上げている問題の多くについて「ちゃんと考えもしていない大人の方が多い」としばしば指摘している。私自身もここに取り上げられたテーマのほとんどについて少なからず考えをめぐらせてきたつもりだが、哲学の大命題とは、いわば「当たり前のこと」が「本当に当たり前かどうか」考えることにほかならず、よく考えてみたら「当たり前でもない」ことばかりなのである。考え抜いたなどと胸を張って言うのは到底はばかられる。世界は謎だらけだということに気づき(あるいは著者の言うように気づきさえしないまま)、多くの人が考えることをやめていくのかもしれない。生きることは誰にとっても楽なことではないから理由はいくらだって用意できる。
 そんなわけだから、あなたがもし14歳なら、この本に関して大人の言うことはあまりあてにはならないと思った方がいい。
また、「独断的な物言いが鼻につく」といったまったくお角違いと思える意見もたまにあるが、この本くらいニュートラルな立場で書かれている本はあまりないと私は思う。断定的・独断的に見えるところは、論理的に疑いようのないことに限られている。

 今あなたがこの書評を読んでいるなら、この本を眼の前にして通り過ぎてしまうのがどれほどもったいないかということだけは伝えたいと思う。そして大人たちの言い分が正しいかどうか自分で確かめてみたらどうかと、14歳のあなたに言いたいと思います。
(初出 BK-1 2009/02/09)

「グレート・ギャツビー」 スコット・フィッツジェラルド著 村上 春樹訳

村上春樹渾身の訳業がさらにくっきりと浮かび上がらせたフィッツジェラルドの天才。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
 たったの29歳でこの小説を書いたというのは信じがたい。そして1940年、たった44歳で死んでしまった。まさに波乱の人生であり、フィッツジェラルドは早足で時代を駆け抜けた寵児だった。
 翻訳でしか読んでいないので文章家としての彼の力は私には評価のしようがないが、物語の設定、推理小説仕立ての構成、人物の造形、魅力的な会話、背景描写の繊細さと時折挟まる正鵠を得たアフォリズム。彼は人間が何たるか、宇宙の真理のなんたるかを若干29歳ですでに深く理解していた。誤解を恐れずに言うなら、人生とは、この世とは、はかない夢に過ぎない、そういうことだ。
 この小説の展開する時代と場所はフィッツジェラルドの実生活を深く投影している。現実の枠組みを使って虚構の世界を築いたのはもちろん作者たるフィッツジェラルドだが、物語はさらにジェームズ・ギャッツなる作中人物がジェイ・ギャツビーという虚構を創りだしたという入れ子の構造になっている。ギャツビーを創りだしたのは、その時代であり場所でもある。「光陰矢のごとし」「夏草や兵どもが夢の跡」。遥か昔から少なからぬ人間が悟っていた真理。ギャッツビーにまつわるすべては「夢」、しかし生きることは「夢」を紡ぎ続けることにほかならないのかもしれない。はかないものは美しい。美しいからこそはかないと知っていながら人はそれに手を伸ばそうとする・・・そんなことを考える人間は数知れないが、それにきちんと形を与えて表現できる人間は極めて数少ない。フィッツジェラルドはそれを表現する能力を備えていた。まさに天才のなせる技としか言いようがない。
 訳者の村上春樹によれば−−あとがきを読むと、もし自分にとって重要な本を3つあげろと言われたら、「ギャツビー」のほかに「カラマーゾフの兄弟」とチャンドラーの「ロング・グッバイ」を挙げるが、1冊に絞れと言われれば「迷うことなくギャツビー」だそうだ−−残念ながら、この小説が彼の真骨頂であり、「ギャッツビー」で舞い降りた天啓は以後の彼の作品に再び訪れることはなかったという。当たり前だと思う。こういう小説をわずかに44年の生涯でいくつも創作することなどおそらくは誰にも出来ない。そういう小説だと思う。
 私が「ギャツビー」を最後まで通して読むのはおそらく2度目だ。前回読んだのは遠い昔で、今回は村上訳(彼のこの小説への思い入れを知っていればこそ)だから読んだ。かなり熟練の英文読者でないと原文で読むのは難しいようだが、翻訳で読んでも――少なくとも以前読んだ翻訳では――わかりやすい文章ではない。
 この小説を翻訳することは当然ながら村上にとっても特別なことだった。他の翻訳のような良く言えば黒衣に徹するような文章、悪く言えば色気の薄い文章ではなく、小説家としての経験を縦横無尽に駆使して「正確なだけ」ではなく、できる限り作家の意図を伝えることに腐心したと後書きにもある。
 いわゆる専門の翻訳家に比べて村上訳では英語のままカタカナに置き換えることが多い。そういう事例があまりにも多すぎるとなると、「翻訳」という仕事の存在理由が損なわれかねない。この小説でも、友人に「old sport」と呼びかけるギャツビーの口癖をそのまま「オールド・スポート」と表記していて、これが口癖だから頻繁に出てくる。最初はニュアンスが捕まえ切れていないので違和感があるのだが、途中からはこの親密さのニュアンスは確かに日本語には置き換えようがないかもしれないと思う。というような点も含めてあとがきで語られた村上の翻訳への姿勢も一聴に値する。詳細に読み比べたわけではないが、この訳は村上春樹の意図に見合った十分な成果を上げているのではないだろうか。
 この小説が確固とした魅力なり力なりを一読して私の中に残したのは間違いのないところだが、私にとって「ギャツビー」のわかりやすい魅力の大部分を占めていたのは、ロバート・レッドフォードミア・ファローのキャスティングによる邦題「華麗なるギャッツビー」のかっこよさ、美しさにほかならなかった気がする。あるいは最初に読むきっかけもこの映画だったのではなかったろうか。映画のイメージを払しょくすることはおそらくもう不可能だが、今回村上訳の「ギャツビー」を読み終えて――小説のほうがオリジナルなので本来おかしな言い方だが――小説自体が喚起するイメージ力によってこの物語の輪郭がより豊かで鮮やかになったという実感がある。
(初出 BK-1 2008/12/06)