「14歳からの哲学」 池田 晶子著

14歳でこの本を手に取るチャンスを得たあなたは幸せだ

14歳からの哲学 考えるための教科書
 もう5年も前に出た本だし、著者の早すぎる死とも相まって大きな話題にもなったので、この本についてはすでに多くの書評や感想が出尽くしている感がある。好意的な意見があり、批判的な意見があり、この本を手に取ろうかどうしようか迷っているあなたはその中から自分が信じられる書評を参考にすればよいだろう。いろいろな意見がありすぎて、逆に迷ってしまうかもしれない。書評に限らず、真贋を見抜くというのはなかなかに難しい(本書で池田さんは「本物を見抜ける人間になるためには、自分が本物にならなくてはならない」と書いています)。

 私はあなたにただこう言いたい。もしあなたが14歳なら、こういう本を若いうちに手に取る機会があり、この本に書いてあるようなやり方で考えることに興味を持てたなら、人生はきっと豊かで面白いものになるだろうと(それが世間的な幸せと一致するかどうかはわからないが)。

 この本に対する読者の批評として、「まだ物事をよくわかっていない子どもを、恣意的に誘導しようとしている」「14歳に読ませるならもう少し教育的な内容にすべきだ」といった感想が割と多いのはうなずける。
 真実を知るということは絶対的には素晴らしいことであるはずだけれど、考えようによっては実は恐ろしいことでもある。真実はしばしば厳しく美しい。真実の峻厳さはそうでないことを寄せ付けない。
 上述のように感じてしまうとすれば、「大人は正しいが子供はしばしば間違いを起こすものだ」とか「14歳に真実を正しく理解することができるかどうか疑わしい(大人なら正しく理解できるけど)」といった意識があるからだろう。
 しかし、実はそういう考えは必ずしも正しくない。年長の者が敬われるべきだという考えの裏付けは、より多くの時間を生きてきたというその点についてだけはまぎれもない事実が――おそらくは――年長者ほどより多くの経験をし、考えを巡らせ知恵を獲得している“はず”だという不確かな根拠でしかない。しかし、実際には子供でもより多様な経験をしていたり、より深く物事について考えたりしている場合はもちろんある。昨今世の中をにぎわすろくでもないニュースの数々を持ち出すまでもなく、大人がみんなものごとの真理についてよく考えていて、正しく行動しているわけではない。
 著者は、本書で取り上げている問題の多くについて「ちゃんと考えもしていない大人の方が多い」としばしば指摘している。私自身もここに取り上げられたテーマのほとんどについて少なからず考えをめぐらせてきたつもりだが、哲学の大命題とは、いわば「当たり前のこと」が「本当に当たり前かどうか」考えることにほかならず、よく考えてみたら「当たり前でもない」ことばかりなのである。考え抜いたなどと胸を張って言うのは到底はばかられる。世界は謎だらけだということに気づき(あるいは著者の言うように気づきさえしないまま)、多くの人が考えることをやめていくのかもしれない。生きることは誰にとっても楽なことではないから理由はいくらだって用意できる。
 そんなわけだから、あなたがもし14歳なら、この本に関して大人の言うことはあまりあてにはならないと思った方がいい。
また、「独断的な物言いが鼻につく」といったまったくお角違いと思える意見もたまにあるが、この本くらいニュートラルな立場で書かれている本はあまりないと私は思う。断定的・独断的に見えるところは、論理的に疑いようのないことに限られている。

 今あなたがこの書評を読んでいるなら、この本を眼の前にして通り過ぎてしまうのがどれほどもったいないかということだけは伝えたいと思う。そして大人たちの言い分が正しいかどうか自分で確かめてみたらどうかと、14歳のあなたに言いたいと思います。
(初出 BK-1 2009/02/09)