大阪国際女子マラソン、福士加代子は何かやると思っていたが・・・まさかの結末。

2007年12月、全日本実業団女子駅伝で快


 誰もが注目していたこの大会、わが家でも何日も前から楽しみにしていたのでした。スタートから先頭に立ち、1km・3分20秒を切るイーブンペースで期待通り独走。あまりのチャレンジ・スピリットのなさに「他の選手はいったい何をしているのか?」TVの前で憤慨しながら見ていました。
 マラソンは30km過ぎからが勝負だからまだまだわからないと思いながらも、あまりにも軽々と走り続ける福士の快走ぶりに、「ほんとうにこのままゴールまでいってしまうかもなあ。高橋尚子は北京にいけなくなるな」と少々複雑な思いでもありました。Qちゃんにはもう一度オリンピックで走ってもらいたい、その姿を見たいと思っていたので、「やっぱり大阪に出て決着をつけるべきだったんじゃないか、名古屋で優勝しても選ばれなかったら悔やんでも悔やみ切れない」、そんなことが頭をよぎりました。
 ところが、一時は2分近い差をつけていたにもかかわらず、32km過ぎあたりから、急速にペースダウン。表情はゆがみ、足の運びもふらつき始めました。
 昨年末、毎年岐阜で行われる全日本実業団女子駅伝を初めて見に出かけました。わが町・大垣もそのコースの一部になっています。福士の走る区間のスタート地点まで我が家から自転車で10分弱。これが「トップ・ランナーの走りか」と目の前を走り抜けていったその姿にすっかり魅了されてしまいました。手足の長いこと。それでいて身体のバランスが抜群に良いこと。ランニング・フォームの滑らかで美しいこと。明らかに1人だけ別のレベルという気がしました(※冒頭の写真はそのときのものです)。
 だから福士のことはもちろん応援していました。彼女はいつも必ず何かやらかしてくれます。今回もひょっとしたら驚くようなタイムでゴールテープを切るかもしれないという期待もあれば、世界選手権みたいに、トップに立ちながら急速に失速するという最悪のシナリオも頭に浮かばなかったわけではありません。
 結果的には最悪のほうがあたってしまいました。
 優勝したマーラ・ヤマウチに34km過ぎで抜かれ、同じく初マラソンの扇まどかにも抜かれ、さらに何人もの選手に抜かれ、最後は何度も転びながら、でも福士は止まりませんでした。
 心配そうに伴奏する監督が、なおレースをやめさせないのを見て、福士自身が最後まで走るといっているに違いないのだろうけど、これが最後のレースというわけでもないわけだし、どうしてもゴールするという意志はスゴイ(レース後のコメントでは頭が真っ白で何も覚えていないと言っていました)と思うけど、すでにダメージは相当のもので、いくら鍛えていても死んじゃうかもしれないし、死なないまでも転んで怪我をするとか脱水症状で必要以上のダメージを受ける可能性もある。止めるべきなんじゃないか、とずっと思って見ていました。おそらくもう足が痙攣して歩くことも難しい状態でした。
 競技場に入ってゴールまであと60mのところでまた転びました。スタンドで応援するお母さんの目からは涙があふれて、もう娘の姿はとても見ていられない。でも福士は最後まで走り続けました。ふらふらだったけど、歩くのではなく確かに走っていました。スタンド中の観客が、優勝者でもないランナーに声援を送っていました。
 福士加代子はやっぱり何かやってくれる選手でした。