モリはモリ、カヤはカヤ―父・熊谷守一と私  熊谷榧著

偉大な父を持つ娘の喜びと苦悩

 モリとは画家・熊谷守一、カヤは本書の著者で守一の次女・熊谷榧さんのことである。前半はカヤさんが、娘として見聞した貴重な情報をもとに守一の一生が記されている。後半は主にカヤさんの趣味である山スキーを題材とするエッセイで、画家でもあるカヤさんが描いた絵が多数添えられている。内容はかなり個人的なものが多い。
 さすが熊谷守一の次女だけあって、カヤさんは豪放磊落、天衣無縫な人のようで、エッセイには元気があって、これはこれで楽しいけれど、身内や友達以外の人が積極的に読む理由もあまりないだろう。山スキーをする人や、山で絵を描くといった趣味のある人には貴重な内容であるかもしれない。
 守一ファンの私には、前半の守一とのエピソードはどこかで読んだことがあるものばかりだったが、まとまって読めるのはありがたかった。
 また「熊谷守一最後の10日間」と題されたカヤさんの日記が収録されていて、これは初めて読んだが、もう熊谷守一の視線がとらえた世界はそこにはない。娘・カヤさんにとって誰よりも大事な「モリ」との最後の貴重な時間の記録である。それにもかかわらず、離婚して少々込み入った事情もあったカヤさんは、小さな子供を抱え、ずっとそばについてもいられない日があったりする。人はどんなに愛情があったって、愛は分散せざるを得ないし、だからといって軽々に愛がないなどということもできまいと思ったりした。
 表題の通り、本書はカヤさんがモリと決別する――父と娘という関係で語られるのを遠慮したい――という意思を表明する意図があったようだが、結局カヤさんは「父・守一と娘・榧」という文脈の中に収まること受け入れることにしたようだ。カヤさんはその後、守一が−−そしてカヤさん自身も−−長年を過ごした家の跡に熊谷守一美術館を造り、館長にもなったのだった。私がこの本を手に取ったのも熊谷守一についてもっと知りたいという理由に他ならず、不本意かもしれないが、カヤさんには守一の人となりを、それから守一の作品を守り正確に伝えていく役割をぜひ担っていただきたいと思うのである。本書はカヤさんが生涯守一とともに生きていくことを決めた決意の書という意味も込められているのである。