村上龍さんのビデオインタビューを見ました。

龍さんはやはり4月には中田の引退の決意を知っていた

 かなり言葉を選びながら話されていました。「チャンピオンズリーグで活躍する中田の姿を見たい」と中田に言ったそうです。しかし、さばさばした感じで、モチベーションがなくなってしまったのがわかったから、引退を思いとどまるよう説得することはできないと思い、そういう言葉はかけなかったそうです。また、ブラジル戦の後引退発表するつもりだという中田に、「それはよくないんじゃないか。休養して心身を休めてからにしたらどうか」と諌めたとも語っています。

指揮官とモチベーション

 人の行動の源は何よりも「やる気」、つまりモチベーションだとあらためて思いました。あらゆる組織において、モチベーションを引き出すことこそがトップ(あるいはリーダー)の最も重要な仕事だと私は思います。この数年、準備を怠らないにもかかわらず控えを余儀なくされた中田は、指揮官に恵まれなかったとも言えるかもしれません(彼は監督批判などはいっさいしない人だと村上龍さんは言っています)。ボトムアップという言葉もありますが、自ら指揮官を動かすというような行動は、彼の得意ではなかったという風にもいえるでしょう。同じようなことは会社などの私たちの身近にもいくらでもあります。

クラブと代表−−世界と日本

 ただ、日本代表におけるジーコとはそういう関係ができていました。
 クラブと代表と、そこにはいろんな違いがあります。クラブでは、中田には猶予がなかった。「すぐに」「目に見える」結果を求められていた。しかしそれが、特にパルマへ移って以降は示せなかった。代表ではジーコとの強い信頼関係によって、猶予が与えられていました。時間も4年もありました。そこがまず大きく違います。
 それから、監督から見た場合の選択肢の幅が代表とクラブでは違います。日本代表は、当たり前ですが、日本人しか選べない。しかし、クラブは(金と熱意があれば)世界中から選手をピックアップできます。
 かくして、中田は中田の理想とするサッカーをめざして全力でW杯に臨んだ。サッカー選手として獲得してきたすべてを注ぎ込もうとしたのだと思います。
 そこで敗れ去ったから、「すべてをやりつくしたので別の道を歩むことにした」というのが自然な気がしますが、中田はすでに何ヶ月も前に−−結果に関係なく−−引退を決めていたわけです。
 そこに、どんな心の動きがあったのか? サッカー選手としての情熱のすべてを燃やし尽くそうとした、そのために、自分を逃げられない状況に自ら追い込んだということなのか?
 いずれにしても多才で、行動設計力の高い人なので、より自分のやりたいことを見つけてしまったということなんでしょう。彼はそうしたことにチャレンジできる環境づくりや努力をサッカーと平行して着々とやってきていました。

いつか、中田の理想のサッカーが見たい

 そんなことを考えていると、中田はいずれ、指導者としてサッカーの世界に戻ってくる可能性も半分くらいはあるのではないかと思いました。まだ、中田の理想のサッカーを実現できていないし、日本のファンへの感謝の気持ちも強く語っているからです。
 彼のフィールドはすでにグローバルになってしまっていますので、日本で何かをする」といったことにあまり興味があるようには、今は思えません。ただ、いつの日か、たとえば彼の故郷山梨のヴァンフォーレ甲府で監督の経験を積み、代表監督として世界に打って出るというようなことになったら面白いと思ったりします。あるいは彼なら、GMとして、サッカークラブ運営の枠を飛び越えて、山梨県全体の活性化を推し進めるといったこともできるかもしれない。そうすると、他の元気のない地方自治体(そんなところは世界中にあると思いますので、日本だけではないかもしれません)からオファーがあるかもしれません。そっちへ進むなら、川渕キャプテンが言うように、日本サッカー界全体をマネジメントする仕事が待っているかもしれません。