「ゲド戦記」公式ホームページのクオリティの高さに感動しました

 私は宮崎駿ファンですが、ジブリの作品が全部好きなわけではありません。「ゲド戦記」も、息子の吾朗さんが監督ということで、あまり注目もしていませんでした。
 しかし、公式ホームページを見て、そこで流れる手嶌葵さんの歌う挿入歌「テルーの歌」を聴いて、認識を新たにしました。手嶌さんの、ピュアで心に静かにしみてくるような声。メロディも歌詞もすばらしいですね。まさに大空高く一羽の鷹がゆるやかに舞っているのが目に浮かびます。
 これまでの宮崎作品−−とりわけ、最も偉大な作品「風の谷のナウシカ」−−の音楽が表現するイメージを踏襲するものだと思います。生きとし生けるものの美しさ、生きることの厳しさ、孤独、そうしたすべてがそこに投影されている気がします。
 WEBのクオリティも本当にすばらしいです。手を抜いていない。こんなものをネット上にオープンにして見せてくれるなんて、「いいの?」って感じです。
テルーの唄 (ゲド戦記 劇中挿入歌)

鷹の孤独が伝えるメッセージ

 この鷹(歌詞にも、予告篇の映像にも出てきます)は孤独のうちにあります。時には獰猛に動物を襲うけれど、それは自然の中で生きていくことの厳しさと表裏一体です。動物は無益な殺戮はしない。「必要なだけ」です。彼は恐れられているかもしれないが、そういう厳しさを胸に秘めて、普段は一人静かに、悠々と自由に空を舞う。孤高の姿からイメージするのはまず強さですが、それだけではない。畏れも抱いていれば、弱さや寂しさも胸のうちに抱えている。だからこそその姿は美しいのだと思います。
 「ナウシカ」で、敵の軍隊の攻撃に襲われ、とらわれた「風の谷」の老人が「あんたたちは火を使う。そりゃわしらも少しは火を使うが」(正確じゃないかもしれませんが)とトルメキアの皇女クシャナに言うシーンがあります。自然=宇宙の一部であることを忘れかけた人間の驕りをたしなめる言葉です。「でも少しは使う」。そこに人間の弱さが見えます。それを意識し、畏れを抱いて生きることが大切だと教えてくれます。
 現代人の暮らしが不必要にぶくぶくと豊かになりすぎている(特に日本をはじめとする先進諸国ということですが)ことへの戒めのメッセージです。「千と千尋」で豚になった両親の姿や、一人で何も持たない裸の一人の人間として、状況を打開していかなくてはならない中で、たくましく成長する千尋の姿も同じことを伝えています。

原作を読み始めての感想

 さっそく「ゲド戦記」第一巻を購入して読みはじめました。映画ではすでに「大賢人」として登場するゲドの、子供時代から始まっています。ざっとした印象として、「ハリー・ポッター」などとはまったく違う気がします(映画を少し見ただけで、本は読んでいないので、原作はまた違うのかもしれません)。「指輪物語」も「ナルニア」も読んでないし、映画も観てないので、それらともどう違うのかわかりませんが、「ゲド戦記」は、ただおもしろおかしいファンタジーではないようです。そこには、生きる知恵や、世界や人間のあるべき姿が記述されています。
 まもなくロードショーが始まります。とても楽しみです。
ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)