日比野克彦展 HIBINO DNA AND・・・「日比野克彦応答せよ!!」に行きました。

岐阜県美術館にて10/20から始まった同展にでかけました。

 美術館の入り口を入ると、彫刻が配置され、中央に川の流れる、緑に囲まれた庭になっていて、私はその空間がとても気に入っているのですが、今回ダンボールでできた「船」や「数字」のオブジェがさらにそこここに置かれていて、さっそくちょっと不思議な空間に入り込んだような楽しい気分になりました。
 館内は床も壁もダンボールで覆われていました。頭上にはやはりダンボール製の忠節橋金華橋長良橋が設置されています。川にあたる床に敷かれたダンボールの上には多様な「青」を塗った紙片が貼られ、長良川の流れを表現しているのだそうです。日比野デザインによる揃いの「ジャージ」を着込んだスタッフたちが、「よかったら一緒にやりませんか?」と来場者に声を掛けていました。ちなみに私も貼ってきました。最終日のクリスマスイブまで参加可能とのことです。その頃にはどんなことになっているのか、機会があればまた見に来たい気になりました。
 この展覧会でもコアな展示作品はもちろん日比野個人の作品です。しかし最近は、ボランティアや一般の来場者と一緒に展覧会ごとに新しい作品を作るという「共同作業」のプロセスがイベントの中心を形作っているようです。
 ロビーのモニターには制作中の映像が流れていて、その中で日比野は「地球上に自分ひとりしか居なかったら誰も作品なんか作らないよ」と言っています。イベント化され多くの人を巻き込み、つながってゆく手段としての芸術というようなことを考えている気がします。
 この数年ふるさと岐阜にますますコミットを強めている気がするのも、そうした最近の活動と無縁ではない気がします。良くも悪くも−−あるいは好むと好まざるとにかかわらず−−、最も太くて熱い絆がそこにあり、人は誰も生まれた場所から無縁ではいられないからです。イベントタイトルに「DNA」という言葉を使っている通り、私たち一人一人が今ここに存在する由縁は、何百万年の人類の歴史−−もっと言えば140億年の宇宙の歴史−−を遡り、行き着くという事実、これは確かなことです。この展覧会のタイトルは、パンフレットにあるように、DNAが日比野に対して「応答せよ」と呼びかけています。
 芸術家が、芸術家として社会に存在するには個人として作品を残す必要があるだろうと思いますが、既定の芸術家であることを拒否して、共同制作を企画するイベントプロデューサーかパフォーマーになることも自由です。日比野はどこへ向かうのか。
 「人は1人じゃ生きていけないし、親や子供や近所のおじさんやおばさん、生まれた街や自然や仲間との結びつきは引き離しようがない。それが面倒だとしても」そして、どうせそうなら「一緒に創作を楽しむことを通じて腹割って話してみない?」と投げかけられている気がしました。
 何らかの思想・哲学あるいは真理を何らかの手段で表現し伝達するという行為のすべてが芸術の仕事であるなら、日比野のメッセージが私に伝わってきたのは確かです。安直な気がしてしまう向きもあるかもしれませんが、「シンプルなメッセージほど強く美しい」し、裏返せば「複雑なメッセージは伝わらない」ということもまた確かだと思います。四の五の言わずに、いっとき「応答してみる」のも悪くはないんじゃないかと思います。

日比野といえばダンボールだそうです

 日比野が5歳のときに作ったという亀の焼き物や10歳のときに描いた油絵から芸大時代以降のダンボールを使った数々の代表作が展覧できます。ダンボールという、身近で、それ自体ほとんど価値のない素材を使って、本来ダンボールとは関係性のないもの−−靴とかスタジャンとか時計とか−−を細部にこだわって作り上げていく。モダンアートにおける日比野の評価がどう位置づけられているのか、私にはわかりませんが、出来上がった作品は「これまでこの世に存在しなかったものが出現した」という新鮮な感覚をもたらします。

山本芳水・熊谷守一・ルドン・加納高校美術家卒展

 常設展示では、明治初期の洋画家・山本芳水の信じられない描写力にまたしても驚嘆し、熊谷守一の「ヤキバノカエリ」やルドンにも久しぶりに対面できました。
 偶然なのでしょうが、日比野の母校・加納高校の美術家の卒展もやってました(日比野は美術科ではなく普通科出身です)。卒展の油絵にはなんで自画像ばかりがああも登場するのか不思議に思いました。むしろ彫刻やオブジェのほうが私には面白かったです(10/29で卒展は終了)。