2006/2007 UEFAチャンピオンズリーグ決勝 ACミラン vs リヴァプールFC (2-1)
初体験
先日テレビを見ていたら大橋巨泉がこんなことを言っていた。「人生やり残したことがあると思って死ぬのはつらい」だから早々にリタイア(巨泉さんの場合は56歳だった)したということなのだが、やり残したことがないといえるような人生は、ほかのことには目もくれず(あるいは目を瞑って)むしろ1つのことだけをやり続けた人にしか訪れないのではないか?というようなことを思ったりした。
やりたいことが山ほどあると思っている人には、次々やりたいことが湧き出してくる。新たな経験などそこらじゅうに転がっているからだ。やりつくせはしないだろう、たとえ200年生きたって。
チャンピオンリーグの決勝をTV観戦にせよ、ライブで観たのはこれが初めてだった。久しぶりに−−ドイツ・ワールドカップ以来のような気がする−−サッカー観戦のワクワク感を味わった。しかしこれがまたとんでもなくすばらしいゲームだった!
それにしてもこういう試合を、ただでデジタル・ハイビジョンで観れるというのはすごいプレゼントだと思う。今回ばかりはフジTVに感謝してもいい気持ちになった。
その試合は「芸術品」
前半は、とりわけすさまじい試合だった。美しすぎる。パスの精度の高さ、好守の切り替えの早さ。とにかくあらゆるスピード−−判断力、ボールの動き、身体のあらゆる部分の運動−−がすさまじく速い。かつ無駄がほとんどない。
残念ながら日本ではこういうサッカーは観ることができない。なぜだろうと不思議だったが、今日の試合を観て思ったのは、まず1人1人の能力のレベルが日本のチームと比べたときには1段2段高い。しかも下手な選手がまじってない、ということだろう。プレーは相当にぎりぎりの線で動いていく。しかしほんの少し−−0.0何秒とかだと本当に思う−−の余裕がある。相手をぎりぎりまでひきつけておいてパスを蹴りだす。そういうプレーが少なくとも前半45分もの間続いていった。これは信じがたいことだ。下手くそが1人でも混じっていると−−集中力の欠けたプレー、狙いを持たないプレーが1つ、2つと混じってくると、ゲーム全体の緊張感はあっという間に崩れ、台無しになる。この両チームには誰一人そういう選手はいなかった。
この決勝戦はまさに、22人のフィールドプレーヤーたちがそうやって大事に大事に作り上げた芸術品を思わせるようなすばらしい試合だった。
カカ、インザーギ、ジェラード
カカ。カカの身体能力の高さとボールコントロールのセンスは言うまでもなく並大抵のものではない。しなやかで美しく、やさしくさえある。カカはMFなのに得点王となった。
ミランの2点はいずれもベテラン インザーギに記録されたが、1点目はカカが獲ったフリーキック。ピルロの蹴ったボールにゴール前で反応してコースが変わった結果のゴール。2点目もカカのアシストから、こちらは見事にゴールキーパーをかわしてのゴール。いずれもインザーギらしいといえば「らしい」ゴールだった。
前半はリヴァプールの方が、全てのプレーにおいてほんの一瞬ずつミランを上回っていたと思うのだが、セットプレーからの1点で流れがほんの少し変わった。こういうレベルではしばしば「ほんの少し」は「決定的」と同義語になる。リヴァプールの得点は、結局後半40何分かのカイトの1点にとどまったが、チーム力においても試合内容においてもほとんど引けをとっていなかった。
You'll never walk alone
ワールドカップではあまりいいところのなかったキャプテン ジェラードのキャプテンシーとプレーにおける存在感はすばらしかった。惜しいシュートもいくつかあった。負けて準優勝のメダルをもらいに行く選手たちにサポーターは、「You'll never walk alone」の大合唱でチームの検討を称えた。悪名高い「フーリガン」の国のサポーターだとは信じられないような立派な応援だった。オーウェンがいなくなって関心がなくなっていた。リヴァプールがこんなにいいチームだとは、恥ずかしながら知らなかった。
ワールドカップとチャンピオンズリーグ
ワールドカップはもちろん魅力的なイベントであることにはかわりはない。だが、この欧州チャンピオンズリーグの決勝というのは(というか準々決勝くらいからなんだろうか)、純粋にテクニカルな面だけからいうと、ワールドカップ以上の高みにあるに違いない。選手は最も長い時間をクラブで過ごすのだし、そこではサッカーはスポーツというだけでなくビジネスでもあり、クラブも選手も−−程度の違いはともかく−−まさに生活をかけて戦っている。妥協も同情も入り込む余地は少ない。結果として下手くそな選手や不真面目な(サッカーに対してという意味だけど)選手は自然と淘汰される。
サッカーというスポーツを構成するパーツの一つ一つのどれもが磨き上げられ、1秒また1秒と時間を積み上げていく。ただし、この試合でも後半は足も止まり、プレーの質も前半と同じというわけにはいかなくなった。このレベルの選手たちでも、90分それを続けることは簡単にはできない。そうした試練の時間が訪れると、そこではまたさまざまな人間の能力の限界が試されることになる。サッカーはまことに過酷で美しくも人間くさいスポーツに違いない。
この舞台に日本人が立つのはいつ?
「この場に日本人が1人でもいたら、さらに数倍も楽しめるだろう」「いったいチャンピオンズリーグの決勝に日本人が出場できるのはいつだろう?」そんなことをこの試合を観ながら思った。
オーストラリア代表のキューエルがリヴァプールの一員として後半出場し、流れを変えるような活躍を見せた。先のワールドカップで日本が負けたのもあながちフロックではない(こんな負け惜しみは私が日本人だからなのかもしれない)のかもしれないとヘンに納得したりした。
チャンスがあるとすれば、今のところ俊輔が最も近いということになるのだろうが、セルティックにいる限り難しいだろうか。二番手は高原なんだろうが、もう1段パワーアップする必要がありそうだ。
そう考えると、やはりその栄誉に最も近かった男は中田英寿だったのじゃないかと思う。何が足りなかったんだろうか? 中田は今どこにいるんだろうと、ふと思った。