「殯(もがり)の森」を観て

 カンヌでグランプリを獲り話題となっている河瀬直美監督の「殯の森」を、おとといBSハイビジョンで観ました。「ハイビジョン特集」の冠が付いていましたし、一般公開前ですので、メイキング映像的なものかと思っていましたが本編でした。
 以前「萌の朱雀」も少しだけ観ましたが、正直、あの静けさの連続する画面を見続けることが(こちらの気合の問題もあったと思いますが)できませんでした。
 それに比べて、今回の「殯の森」は、同じように静けさが背景を支配しているけれども、その基調が明るさを伴うものであること、また、主人公2人−−特にしげきさん−−が動き続けるロード・ムービー的展開であることが功を奏し、楽しく観ることができました。
 殯(もがり)とは、本葬の前に棺に納めた死者を仮にお祀りすることだそうです。しげきさんは33年前に亡くした奥さんを、真千子さん(しげきさんのいる老人介護施設の新人職員)は亡くして間もない子供を「本葬」できずにいる。これはそんな2人の殯(もがり)の状態を描いた物語ですが、人との出会いや自然のパワーによって、そして人間の持つささやかだけどばかにできない力によって、それぞれがそれぞれの生を生き抜く方向へ動いていく。人間の持つそんなしなやかな強さに対する監督の明確な信頼が、画面全体からはっきりと感じられました。
 日本的な映像の鮮やかさもとても印象に残りました。茶畑の風景は、「日本的」な風景として写真のコンテストなどでもよく見かけてきたもので、もう目新しくはありません。むしろ、水田の水面を漣立てて動いていく風をとらえた映像や、広葉樹の森の葉末を震わせ、さらには枝全体をに揺らめかせて移動していく風の姿をとらえた淡き緑の森の映像こそ、「日本」らしい風景である気がしました。
 物語の中盤以降は、そうした森−−それこそが殯の森−−の中を、2人は明確な目的を持って風のように歩き続けます。風と森と主人公たちは映像の中で、境界を失い一体化していきます。こうした心情は日本人にとっては抵抗なく、心地よさを伴い受け入れられるものだし、日本人の森や自然との接し方そのものだ(あるいは、だった)と言う気がします。
 主人公のしげきさん役の俳優は、とても素人とは思えないすばらしい演技で、彼なくしてこの映画の成功はなかったと思えます。実質的な育ての親だった河瀬監督のおばあちゃんが認知症になったという監督自身の経験がこの映画を作る根源的な動機になったと語られていました。河瀬監督は「認知症といっても、人間性が無くなってしまうわけではない」というようなことをおっしゃっていました。さらに言えば、そういう状態の人間こそが、素の人間、「世の中」を生き抜くためにまとわざるを得なかった余計なよろいや人間同士の間に築かざるを得なかったなんらかの壁を取っ払った本質そのものに近い人間であるという気が私にはします。時には凶暴、時には天真爛漫。感情の振幅は大きく、彼を外からコントロールすることは容易ではなく、社会性という点に限れば厄介な存在です。しかし、彼はわれわれの鏡のようにいろんなことを考えさせてくれるし、トリックスターのように魅力的です。「萌の朱雀」にも出ていたという真千子役の尾野真千子さんのさりげない演技も良かったと思います。
 ドキュメンタリー風のつくりであることもあって、家でTVで観ていて言葉が聞き取りにくいところが多々ありました。そういう意味でも、この映画は静かな映画館で観ることをお勧めしますが、単館上映ということで都市部以外ではなかなか難しそうです。カンヌ・グランプリ受賞という肩書きも付いたことだし、個人的には商業的にもいける気がしますの。1館でも多くで上映できるようになることを願っています。