「僕のトルネード戦記」野茂英雄著 〜イチロー、松井、松坂・・・すべてはこの男の挑戦から始まった。

僕のトルネード戦記 (集英社文庫)
 メジャーリーグという日本人にはまったく未知の世界にたった一人で挑戦し、あっという間に(というように当時は見えた)夢を実現してしまった野茂。1995年−−もう12年も前の話だ。
 その年はストライキのせいで、なんと1ヶ月遅れの開幕だったが、野茂は開幕からメジャーに昇格。初登板、初勝利、初完投、初ヒット、さらにオールスター先発登板までルーキー・イヤーに成し遂げた。アメリカにあってもノモマニアがブームとなり、ストライキでファンにそっぽを向かれたMLBメジャーリーグ・ベースボール)の人気を回復させ、最大の功労者となった。
 TVの前の私も、野茂が空振りを取るたび、三振のたびに声を上げ、共に感動を分かち合える喜びを存分に楽しんだ。野茂の夢が1つずつ実現していくのがなんだか自分のことのように嬉しかった。野茂のようにあきらめずに人生に立ち向かえばいつかきっとやりたいことができる、必ず報われる日が来る、そんな気がして、どれほど元気づけられたかわからない。輝くばかりの笑顔はまぶしかった。
 あれから12年、偶然この本の存在を知った。あの1年を野茂自身の言葉で著したこの本を読むうちに、野茂の勇姿とともに、あの頃の自分の気持ちもよみがえってきた。
 ここに書かれていることはもう昔の話だし、MLBや野茂にあまり関心のない人にはとって、今わざわざこの本を読む必要はあまりないかもしれない。日米の野球界で画期的な実績を残した野茂の何者にも媚びない姿勢や主張は、一時代のヒーローを知る手がかりというだけでなく、自然と卓抜な比較文化論・日本人論として読んでも面白いと思ったが、それは私が野茂という人間や野茂を介して共有した時代に強い共感を持っているからなのかもしれない。時代は変わるし、ヒーローも変わる。人の気持ちは移ろいやすい。
 近鉄の当時の監督の実名を挙げたりしてフロントや首脳陣を批判しているのにはちょっと驚いたが、野茂の言っていることは至極もっともなことばかりだ。野茂の提言にもかかわらず、この12年間改革も滞る日本のプロ野球の将来は暗いと思う。先般の特待生問題とそれに対するプロ野球側の対応を見ても、問題はなくなったのではなくて隠されていただけなのは明らかだ。問題がないかのように振舞っている分、状況はむしろ悪くなった気さえする。
これだけ多くのスポーツがあり、プロ化が進み、世界中にTV中継される。そうした現状では、野球も生き残りを賭けてグローバル化が避けられないのは明らかだ。NFLNBAに人気で抜かれたMLBの危機感が、野茂を筆頭に日本の選手が続々海を渡ることができた背景にあることも今では誰でも知っている。
 一方で、野球は2008年北京を最後にオリンピック種目からはずされることが決まっていて、それはすなわちグローバルなスポーツではないと言われたに等しい。これは日本の野球界にとっても大問題だ。オリンピックを目指せない選手はますますMLBに流出するだろう。世界と戦わないプロスポーツから人々の関心は遠ざかるだろう。そうした状況の中で、限られた球団だけが有力選手を集められるような仕組みを、なぜ変えられないのか不思議でならない。野茂は12年前に訴えていた。なぜ天然芝でなく人工芝なのか? なぜFAまで9年もかかるのか? なぜ球団との交渉に選手が代理人を立てることをよしとしないのか?  メジャーでの成功によって、自らの発言や姿勢の正しさを証明したはずなのに、日本の野球界に大きな変化は起きなかった。
 また、マスコミのバッシングと手のひらを返したようなぶしつけな取材攻勢はよほど腹に据えかねたたしく、しばしば批判の言葉が出てくるが、この本で野茂が伝えたかったのは批判や提言ばかりではもちろんない。野茂だってそんなことはできれば書きたくなかったはずだ。
 本当に伝えたかったのは、MLBを観る楽しさであり、プレーのすごさであり、球場やファンのすばらしさなのだ。TV中継を1度でも見たことがある人なら−−そして今では大臣がMLB中継の多さを批判するほど身近になった−−、それが紛れもない事実だとすぐにわかったはずだ。野茂がベースボールのすばらしさを体験できる機会をわれわれに与えてくれたと言っても過言ではない。この本を読めば、フィールドの内外で選手が何を考え、どんな努力を払っているのかを少しだけ深く知ることができる。それはMLB観戦の楽しみをさらに大きくしてくれる。
 この本を野茂本人が書いたのかどうかは定かではない。あまりに文章がまとまっているので、(失礼ながら)口述筆記をライターが編集したのだろう、そこがちょっと残念だなと思ったが、終わりのほうに「原稿をチェックしていた」という記述もあり、野茂が登板の合間に自分でカリカリ書いたのかもしれないと、今は思ってます。
 この本を読んだら野茂のピッチングが見たくてしかたなくなった。野茂は今どこで調整しているんだろう? 近いうちにきっとメジャーのマウンドに戻ってくると信じてます。メジャーのマウンドで先発する野茂を見るのは私の夢の1つなのだから。