ほれぼれしました。〜吉田秀和さんのバイロイト評を読んで

 「バイロイト音楽祭 ニーベルングの指輪」(吉田秀和渡辺護著 音楽之友社)という本を昨日読んだばかりでした。「読んだ」といっても9割がたは写真で構成されていて、吉田秀和さんの文章もごく短いものでした。
 本の内容は戦後のバイロイト音楽祭の「ニーベルングの指輪」−−日本では「リング」と呼び習わしますが、外国でもそうなんでしょうか?−−の、主には舞台演出にスポットを当てたものです。65年のヴィーラント・ヴァーグナー演出から83年のピーター・ホール演出の舞台まで、いずれも吉田さんの評論で何度も読んでおり今に至るまで興味は津津でした。
 「リング」はもちろん音楽史上最大かつ最高のオペラに違いなく、吉田さんの文章を読み、たまにはその一部を聴いたりしながら、「バイロイト」もしくは「リング」へのワクワクするような思いをつのらせたのでした。「いやあ、一度でいいからバイロイトヴァーグナーのオペラを観たいもんだなあ」と。

ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》全曲 [DVD]
※1980年バイロイト音楽祭ライブ パトリック・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮

オペラを味わいつくすには最高レベルの教養が必要になる

 私自身には「リング」はもとより、本来の意味でオペラを理解し、心から楽しむ能力はないし、、今後も持ち得ないだろうと今ではもう半ばあきらめています。「本来の意味で」というのは、オペラは映画と並んであらゆる要素をとり込んで構成される総合芸術なわけで、序曲だけとか舞台装置とか衣装とかアリアの1つとかその一部を楽しむことはできても、オペラの表現するすみずみまでに興味を注ぎ総合芸術としてこれを享受する力はとても私にはありません。
 言葉の問題というのもひじょうに大きいですね。今時「字幕つき」の公演も普通になってますが、とてもそんなものを頼りに理解できるような半端なものではありません。言うまでもなくオペラの主流は、これまでも−−おそらくこれからもずっと−−ドイツとイタリアであり、ドイツ語とイタリア語の理解は不可欠です。それからフランス語も理解できれば、90%以上のオペラを楽しむことができるでしょう。言葉がわからなくても、事前に綿密なストーリーとおおよその歌詞を頭に入れていけばかなり楽しめる可能性はあるかもしれませんが、それもなかなかたいへんです。
 それでも演奏会に出かけて、舞台を目の当たりにすれば、おそらくそれなりに楽しいでしょうが、少なくとも日本では、チケットがべらぼうに高い。これもオペラから遠ざからざるを得ない大きな理由です。ちなみに私が金を払って観たオペラはヴァーグナーの「さまよえるオランダ人」ただひとつで、海外のそれなりに有名な歌劇場だったはずですが、パンフレットを見ないとどこだったかも覚えていないくらいの印象しか残っていません。それでも清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで買ったプレミアチケットだったんですけど。

最大のニュースは吉田秀和さんの健在ぶり

 話がそれました。やっと表題の「吉田さんのバイロイト評」に行き着くわけですが、それは朝日新聞不定期で連載の「音楽批評」のことです。今朝(9/20)のタイトルは「バイロイトの今」でした。なんという偶然! この夏のバイロイト音楽祭にお出かけになられたそうで−−それ自体がお元気振りを物語って吉田さんを敬愛する私としてはうれしいニュースです−−オペラにおける演出家主導を切り拓き現在に至るその流れを作ったバイロイト音楽祭について書かれています。バイロイト云々以前に、今回はまた、20年前くらいの油の乗られていた頃のような力強い筆致で書かれていて、ますます嬉しくなってしまいました。
 肝心のオペラのほうは、話題の−−私はトンと知りませんでしたが−−ヴォルフガングの29歳の娘さんの新演出による「マイスタージンガー」でなく、あえて4夜に及ぶリング4部作をすべてご覧になったとのこと。その体力と集中力も今だご健在のようです。舞台と演出はあまり面白くなかったようですが、ティーレマンの指揮と解釈は興味をそそられたらしく、その指揮ぶりを「ワーグナーブルックナーを適用する」と評され「今年のバイロイトでは、これが私には最も新しかった」と締めくくられているくだりには、グッときました。

バイロイト音楽祭 ニーベルングの指輪」についての若干の感想

 冒頭の本については、吉田さんの話が予想以上にわずかでちょっと残念でした。しかし戦後バイロイトにおける「リング」演出の変遷を、多くの写真とともに概観できて、これはこれで面白かったし、勉強になりました。いかにも現代的なシェローやホールの演出と、ヴァーグナーの孫に当たるヴィーラントやヴォルフガングの審美的な演出とは、その対比の明確さが際立ち、面白いと感じましたが、前者の何でも新しくないといけないというような発想やそれが脅迫的に発揮されたような趣向は私の好みではありません。
 たとえば、従来の演出だって実にすばらしいところがたくさんあって(たぶん)、それを見ていない人(まさに私もその1人なわけです!)もたくさんいるにもかかわらず、批評家など最先端で幸運を享受できた一部の人間が「つまらない」「新しさがない」などと勝手な意見を述べた結果(だけではないでしょうが)、新機軸を打ち出さざるを得なくなる。そこにはつまらないものもたくさん持ち込まれます。それでも回数を重ねるごとに少しずつこれを改良していくところに人間の能力のすばらしさもあるわけですが、そこに多くのムダやストレスが生み出されることもまた事実です。たとえば日本の能や歌舞伎のように、わからないほどの洗練を無駄なく重ねながら芸自体も高みに到達し、観客も時代に関係なく楽しんでいる、というのはまことにすばらしいことのように最近思えます。まるで森や珊瑚礁が形作られる過程みたいに。