ユンディ・リのピアノ・リサイタルに出かけました。(2008年1月9日・愛知県芸術劇場)


 2000年のショパン・コンクールで史上最年少で優勝した中国のピアニスト・ユンディ・リ。まだ弱冠25歳の、今風に言うならイケメン・ピアニストの実力のほどを自分の耳で確かめるべく、リサイタルに出かけました。

思わずブラボー!と叫びました

 当初は前半のメインにベルクのピアノ・ソナタop.1、後半は−−というより今回の公演最大の聞きもの−−「展覧会の絵」というプログラムだったのが、本当に直前になって、前半のプロが変更になり、モーツァルトのK.330のソナタショパンノクターン第2番と「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、そして予定通りの4つのマズルカop.33他と、ユンディお得意(であろう)のプロに変更されました。理由はわかりませんが、初めて彼を聞く私にとっては、変更後のプログラムのほうが望ましいものになった気がします。
 最初の曲モーツァルトソナタの演奏は正直あまり私の好みではありませんでした。凡庸な演奏だったのではないでしょうか。
 この晩は、時節柄というべきか、咳のオンパレード、さらには途中席を立つ女性が私が気がついただけでも3人はいました。おそらくそのせいもあって前半は演奏のほうも、どうも集中力の足りないものとなっていた気がします。ユンディにはかわいそうな状況でした。聴衆も演奏会のでき不出来を大きく左右するということをこの晩は実感しました。
 ただ、続くショパンマズルカノクターンシューマン/リストの「献呈(S.566)」(これは歌曲からの編曲だと思いますが、テクニカル的にはともかくうるさいばかりであまりいい曲とも思えません)をはさんで「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」と、さすがに自家薬籠中のものといってもいいこれらショパンの曲では、その安定感はすばらしく、逆につまらないくらいでした。もちろんそんな言い方は実に贅沢な話で、さすがショパンコンクールのチャンピオンの面目躍如と言っていい演奏だったと思います。しかしショパンだけで終わりだったら、私は「ブラボー!」とは叫ばなかったでしょう。

白眉は「展覧会の絵

 休憩を挟んで待ち望んだ「展覧会の絵」。これこそ、予想を遥かに上回るこの演奏会の白眉でした。すばらしい演奏でした。
 ムソルグスキーの代表作ですが、録音はそれほど多く遺されていないのではないでしょうか? 私は名高いホロヴィッツのモノ録音と、アシュケナージの演奏によるCDを持っていますが、ほかに誰が録音してるんでしょう?
展覧会の絵&戦争ソナタ?超絶技巧名演集
 録音が少ない理由の1つはオリジナルのピアノ版よりも、ラヴェルによって華麗で色彩に富んだオーケストレーションを施された「展覧会の絵」のほうがむしろあまりにも有名になってしまったせいでしょう。まったく楽しい曲ですから。並べて聴くと、たとえばまるでリストが編曲した「トリスタンとイゾルデ」のピアノ版を聴いているときのような印象を抱いてしまうほどオーケストレーションの魔術師・ラヴェルの編曲はまことにすばらしい。
 しかし、ユンディのこの晩の演奏をこの目で見て、ほかにも理由があることに気づきました。それはこの曲の演奏が難しいということです。30分になんなんとする大曲ですが、ピアニッシシモからフォルティッシシモまでのそのダイナミックの大きさはまさにオーケストラのそれに匹敵する。ピアニストはピアノという楽器1つでそれを表現しなくてはなりません。さらに最強音の連続するパッセージのある後半は、垂直に強い打鍵が連続して要求され、女流にはいささかきつい曲なのではないでしょうか? しかし、もちろん若くてハンサムなユンディはショパン弾きらしい繊細さを縦横に発揮するかと思えば、すばらしい勢いで情熱的に激しく強いパッセージも弾きこなしました。
 ホロヴィッツの19世紀以来の伝統的な打鍵−−垂直に強くたたく奏法はホロヴィッツで最後だ、というようなことが言われていましたが、ひょっとしたらユンディは21世紀にその伝統を受け継ぐピアニストなのではないか、というようなことを思いながら聴いていました。
 開始早々は前半の落ち着かない雰囲気を多少引きずっていたのか、右手でピアノを弾きながら左手で椅子の高さを調整するという芸当を2度見ました。しかしその後は高い集中力を維持し続けた本当にすばらしい演奏でした。この1曲を聴いただけでもこの日会場に足を運んだ価値はあると感じました。

人気ピアニストは多忙

 アンコールの拍手に4〜5回ステージに戻って応えたユンディでしたが、ついにアンコールの演奏はありませんでした。これほど盛り上がってアンコールがなかった演奏会も初めてだったので、どこか調子でも悪いのかと逆に心配になりました。
 しかし、どうやらそれは杞憂で、演奏会後にサイン会(パンフまたはCD購入者向け)が予定されているせいだったというのが真相のようです。なにしろイケメンなのでやはり女性ファンが多く、サインに並ぶ列は長蛇をなしました。
 演奏が終わって10分もたっていない気がしますが、ユンディは汗をかきながら1000はサインをしたんじゃないでしょうか。本人の意思がそこにどのくらい反映されているのかわかりませんが、それがプロモーターのお仕着せばかりでないことを願うばかりです。ファンはもちろん真近に彼を見られる機会があるというなら並びたくなるのが人情です。私も実は初めて並んでみました。「すばらしい演奏でした」と声を掛けたら、こちらを見て少し笑顔になりましたが、さすがに疲れの色も見えました。まだ若いし、今のうちにたくさんのファンを作っておくことも重要なことだという考えもあるでしょうが、どうでもいいようなことにかかずらわって若くて才能のあるピアニストが輝きを失わないように祈ります。
 最新の録音は小澤&ベルリン・フィルとのラヴェルプロコフィエフの協奏曲だそうです。ちょっと聴いてみたい気はしますがプロコフィエフが3番でなく2番というのが個人的にはちょっと残念ですね。
ラヴェル:ピアノ協奏曲