「小島信夫展」を見てきました。

 岐阜県図書館1階企画展示室で昨日(2008/6/13)から始まった小島信夫展を見てきました。展示としては小さなものですが、直筆原稿、写真(大垣の住吉灯台で撮った写真もありました)など多数あり、面白く、興味深く見ました。
 岐阜県出身であることは知っていたし、「アメリカン スクール」は高校生の頃読んだかもしれず、S.アンダスンの「ワインズバーグ・オハイオ」−−後年小島信夫訳だと知りました−−は結構面白く読んだ記憶が残ってましたが、昨年「うるわしき日々」を読むまで、小島信夫の重要性・独自性に気づいていませんでした(その本も実を言うとずいぶん前に買って、何度も読み始めては挫折したことを告白します。本を読むにはタイミングというか時間と経験の経過がときに重要です)。
 私見では、小島信夫の特長の最たるものは、加減のない「自由」さ、さらには「自在性」にあると考えています。なぜそれが重要かと言えば、小説とは本来的に「自由」なものであり、何物にもとらわれない自由さこそ、小説の本質であったはずだからです。
 ここに展示された小島自身の言葉が、あるいは小島について語られた言葉が裏打ちする通り、小島信夫はそれを意識的にやっていたし、そこにこそ小説の面白さがあると確信していたものと思われます。今回の展示でもってそれを確認できました。小島の作品−−たとえば「抱擁家族」や「別れる理由」や「寓話」など−−が文学界において、賛否両論を巻き起こしたのは当然でしょう(当時の書評などが掲載された文芸誌などもたくさん展示されています)。
 もっともそうしたことは小島信夫の本をあれこれ読めばもちろんもっと明確にわかることで、作品をこそ読むべきでしょうが、残念なことに小島信夫の本はなかなか手に入らない作品も多いのです。
 若き友人だった保坂和志の「小実昌さんのこと」という小説(一見エッセイですが保坂自身が「これは小説だ」と言い張ってます)を読んでいたら、西武時代の上司が小島信夫のことを「小島信夫っていうのは、田中小実昌とか後藤明生みたいな、ダラダラ書く作家の総本山みたいな作家なんだよ」と言ったというくだりがあります。思わず笑ってしまいましたが、つい最近まで(今も大して変わらないかもしれませんが)小島信夫の一般的な評価とはそんなもんだったろうと思います。
 もしオリコンあたりが人気ランキングを集計したら、下から数えたほうが相当早いに違いありません。特に「長い」作品ほど手に入らない。
 そういう意味でもこの展示は貴重だと思います。
 土曜日だというのに見物者は何人もいませんでした。興味のある方は、心行くまでゆっくり見ることが可能です。ぜひ足を運んではいかがでしょうか。
※2008/12/25のクリスマスまで。