北京オリンピックの開会式を見ました。

 まずは無事に終了したことを祝福したい気持ちです。チャン・イーモウの演出は中国のアイデンティティを強く意識しながらも、世界で活躍する映画監督らしいコスモポリタニズムにもあふれていて、見る者を感動させるに十分な素晴らしい演出、一大スペクタクルとなっていました。
 その素晴らしさを認めながらも、中国四千年の歴史、15億を超える人々のパワーをまさに体現したともいえるこの壮大な開会式に、違和感を抱いたのも事実です。史上最大204カ国・地域の参加とはいえ、4時間を超える開会式が、オリンピックというスポーツの大会に本当に必要なのかどうか、というギモンです。中国オリンピック協会会長とIOCのロゲ会長が登場するシーンでは、ハリウッドはアカデミー賞の会場をほうふつとさせる長い長いレッド・カーペット。両側に白いドレスを着た美女が並び、二人の通り過ぎるのに合わせて次々微笑みかけていきます。「鳥の巣」には9万人の観客と90カ国に上る各国首脳。選手団の合計は1万人を超えるそうです。
 こんな規模の大会を開ける国は、今や中国以外にないんじゃないでしょうか。アメリカにもできるかどうか、というスケールだと思います。まさに国家の威信をかけた世界最大のイベントに違いありません。そこに費やされた金銭的・人的・時間的コストはいったいいかほどに上るのか、想像もつきません。

 私には「何かが違う」気がしてなりませんでした。そういうことが中国という国のお国柄なのか、オリンピックというイベントが身につけてしまった重い鎧なのか。これ以上のスケールは今後望みようがないのではないかと思えるスタジアムの光景に私が想起したのは、沈みゆく巨大な船のイメージでした。

 特別な大会であることは認めますが、その根幹はあくまでスポーツの大会にほかなりません。主役は選手たちだし、競技を観戦することこそが、観客の最大の楽しみであるはずです。歌や踊りを見たいなら別のイベントがあるでしょう。もう二度と、ちょこちょこ再放送など見なくともよいようにと思って、最初から最後まで見ましたが、最後は頭が痛くなってきました。
 極端にいえば、開会式など、主催者の短い挨拶と、選手宣誓、国旗と五輪旗の掲揚、手短に聖火の点灯、それくらいで十分だと思います。聖火リレーや開会式のような形式的な行事は簡素に執り行い、余力を貧しい国への支援や、病気や飢餓の子どもを助けるために使ったらどれほどのことができるだろうと思ってしまいました。テロの標的になるリスクも大いに減るでしょう。中国という国の素晴らしさもさらにアピールできたでしょう。
 繰り返しますが、重厚に過ぎる点を除けば、このイベントの質は非常に高かったと思います。李寧さんの点火シーンの演出など度肝を抜かれました。ドキュメンタリー映画にもなったオペラ「トゥーランドット」中国公演の演出ぶりに加えて、この開会式もチャン・イーモウの偉大な作品として語り継がれるのでしょう。彼の物事を粘り強くまとめあげていく手腕には恐れ入ります。

 しかしながら、結局のところ、これはあくまで余興にすぎません。明日から始まる競技の滞りない運営こそ、オリンピック開催国に課せられた最大の使命でしょう。今回の力の入れようを見れば、大まかに言ってすばらしい大会になるものと期待しています。