北京オリンピックの開閉会式を通して。西洋的な価値観、既成の価値観に支配されすぎている気がしました

 その後録画で閉会式も最後まで見ました。中国人の女性ソプラノ歌手と手を取ってドミンゴも登場。オリジナルなんでしょうか、イタリア・オペラのアリア風の壮大な歌を歌いあげました。いくつかわかりませんが、相変わらずハンサムで、また声がすばらしい。さすがの三大テノール。中国の歌手がまた細くて美しいんですね。その手を取る姿と言い、曲想と言い、プッチーニのマダム・バタフライの1シーンを地でいくような感じでした。ドミンゴは幸せそうでした。
 開会式も含めて全体として見ると、中国的な要素が意外に少なく、コスチュームにしろ、音楽にしろ、装置にしろ、登場するスターにしろ、きわめて現代的つまりは西洋的で、政治体制を除けば、中国も資本主義社会−−すなわち西洋的価値観が支配的な現代世界−−のまぎれもない一員、それもアメリカに肉薄していく強国であることを強く印象付けました。
 ロンドン五輪関係のパフォーマンスの演出はチャン・イーモウではないとのことですが、三大テノールを起用したり、開会式ではサラ・ブライトマンが中国の歌手と共演したり、既に世界が評価している人や事象を引っ張り出して、「中国」と並べて見せる、そういうやりかたが随所に見られた気がします。中国の人たちは、驚くほど堂々とその大役をこなしていて、能力の高さと自信の強さを感じましたが、手法としては見え透いているし、世界に冠たる固有の文化をもつ伸び盛りの国の表現としては、もっとチャレンジャブルで独自な提案があってもよかった気がします。 

鳥の巣と水立方(ウォーター・キューブ)

 ただ、鳥の巣と、このメイン会場を、まるでそのために計画されたのではないかと思うほど、縦横無尽に無駄なく使った、計算されつくした演出−−特に高さと空間を意識させる演出−−は見事だったと思います。特に鳥の巣がライティングによって夜の街にほんわりと浮き上がる姿は幻想的で、想像できなかった効果をあげていたと思います。水立法の造形と天井の細胞を思わせるような模様も独創的だったと思います。しかも、フィールドは風がないとか、プールは天井が高く水深が深くて泳ぎやすいとか、競技者にとても評判がよく、幾多の世界記録が誕生し、機能的にも優れていることが証明されました。
 しかしこれらの建築物は、中国の方たちのアイデアや意思が盛り込まれてはいるのでしょうが、鳥の巣はスイス、水立方はオーストラリアの建築事務所が主体と聞きます。

中国の大門の扉が開かれた

 いろいろありましたが、やっぱりオリンピックは面白かったし、中国の人たちは一生懸命この大会を盛り上げたと思います。世界中から人々が実際に中国に集まり顔を合せたことは、指摘される様々な問題を解決するためにも今後大変大きな力になるのではないでしょうか。
 このオリンピックでもって中国の門は自ら大きく扉を開きました。開いた以上は入るも出るもこれまでとは比べ物にならない量と種類の交流が始まり、自らこれを受けとめ、消化してかざるを得ないでしょう。制限は限りなく小さくならざるを得ません。中国にとっても清濁を併せのまないわけにはいかない。中国は内からも外からも変わらざるを得ないはずです。その時に国際社会が中国を孤立させることなく、あるときは手を差し伸べ、またあるときは戒め、苦言を呈すべくは呈していくという粘り強さが求められるでしょう。五輪期間中の胡錦涛国家主席の挨拶や発言も国際社会との協調を重視する趣旨の発言であったと思います。
 中国はだれがどうみても今後超大国になっていくでしょう。中国をうまく受け入れ、中国国内にくすぶり燃え上がらんとする火種を大火とすることなく対処できるかどうかは、世界全体の未来にとっての最重要課題だと思うのです。