「僕はいかにして指揮者になったのか」佐渡裕著 〜佐渡裕は、まあとにかく身体も行動も音楽も規格外の男である。

僕はいかにして指揮者になったのか
 身長187cm、体重80数kgの巨漢はプロレスラーかラグビー選手と見紛うほど。とにかく「棒が振りたい。指揮がしたい」、それだけの思いで、20代にはバイトをしながらママさんコーラスから学生オケまで指揮していたという。本当の話?と疑いたくなるようなエピソードも山ほど出てくる。ここに書かれている彼のキャリアと世界的指揮者への道のりは、確かにクラシックの音楽家の出世物語としては通常ありえないものだと思う。それを「指揮者になりたい」という一心で本当に成し遂げてしまった痛快さこそが、この本の最大の魅力にちがいない。
 ボストンで毎夏開催されるタングルウッド音楽祭の指揮者クラスに参加したことから、小澤征爾レナード・バーンスタインという偉大な指揮者に認められ、愛され、今や世界のクラシック界の次代を担う指揮者の1人と数えられている(に違いない)。この本を読むと、特にバーンスタインには破格のかわいがられようだったことがわかる。
 佐渡裕を知ったのはいつだったろう? 89年のブザンソンの指揮者コンクールで優勝したというニュースがきっかけだったかもしれない。以来とにかく関心はあったのだけれど、実演を聞く機会もなく、テレビなどで断片的に観、聴きした印象しかない。だから彼の音楽について語る資格はないが、この本などで伝え聞くエピソードから見えてくる彼の音楽家像は、多少の出来不出来はあるけれども、はまった時には較べるもののないほどすばらしい音楽を創り出す、ほかに似たもののいない存在ということになる。そういう(特に日本人には)稀有な音楽家−−つまり天才ということだ−−であるという見解で概ね世評は一致するようだ。まず聴くべきは手兵のラムルー管との「ボレロ」か、もしくはパリ管との「幻想交響曲」あたりということになるだろうか。
ボレロ!  ベルリオーズ:幻想交響曲
本書の語り口からも彼の奔放さ・破格のおおらかさは十分伝わってくるが、おそらくは時に豊饒に過ぎるテンペラメントの発揮は、彼の師であるレニーことバーンスタインとダブる。この二人は似たもの同士なのかもしれない。
 師であるレニーの言葉は本書のあちこちに出てくる。佐渡については「オレはジャガイモを見つけた。まだ泥がいっぱいついていて、すごく丁寧に泥を落とさなければならない。でも泥を落としたときには、みんなの大事な食べ物になる」と生前語っていたそうだ。
ところで、本書のレニーはだいたい関西弁である。たとえば指揮の指導では「ほーら、このメロディ、美しい女やぞ。抱きまくれ」といった具合である。不思議と違和感がまったくなくて、そこがおかしい。バーンスタインは関西弁とマッチする。
 世にバーンスタイン・ファンはカラヤン・ファンと並んで多いと思うが、人間バーンスタインの言葉や振る舞いを知ることができるのもこの本の大きな魅力である。しかし、すでに在庫切れらしい。私が持っているのは2001年発行の新潮OH!文庫初版だがこちらも残念ながら品切れのようだ。
ちなみに私はバーンスタインではヴィーン・フィルを振ったブラームスと晩年のマーラーが大好きである。佐渡裕のCDはあまり多くないし、演奏会は名古屋ではまずないので、いつ聴けるか心もとないが、いつかその指揮振りに接してみたいとは思っている。