イビチャ・オシム監督の回復を心より祈っています。

 びっくりしました。就任時にどこかの記者が「高齢ですが健康面で不安はないですか?」というようなことを−−おそらくは勇気を出して−−質問した。オシムは例によって両手を広げて「健康に問題があるようあなたには見えますか?」と、これまた例によって皮肉っぽく言ったように記憶している。記者が尋ねるまでもなく、実は私もオシム就任に一抹の不安があるとすれば、その年齢に伴う健康面の不安だけだろうと思っていた。
 しかし、慣れないアジア・モンスーンの気候の中、戦い続け結果を重ねてきた姿は、その不安をすっかり払拭し、「あー、杞憂だったなあ」と少し前に思い、その後はオシムの年齢などまったく気にも留めなくなっていた。
 だが、しかし、人間は油断するのである。油断したときに限って悲劇は起こる。

 日本サッカー界にとってほんとに大事な人になったオシム。茶目っ気たっぷりな愛すべき人物。外国人でありながら、いや「聡明な」外国人だからこそ「日本らしさ」の重要性を認識し−−ラグビーのカーワンもまったく同じことを言っていた、大畑の怪我などもあり、残念ながらワールドカップは散々だったけど−−、日本の目指すべきサッカーの方向性を明確に指し示し、しかも正しくそこへ連れて行くことができる経験も指導力もプランも持ちあわせていたと思う。

 こういう事態になってしまった以上、川渕キャプテンが涙ながらに会見で語った願いと私もまったく同じ気持ちです。日本代表がどうなるかなどは今はどうでもいい。とにかくオシムが生きて戻ってきてくれることだけを願いたい。彼は言っていた、「私は日本では死にたくない。死ぬときは故郷に帰って故郷で死にたいから」と。長い内戦の銃火の中を生き抜いた家族や友達、一時は廃墟となった故郷の地、それらすべてを大切に思うオシムの気持ちがリアルに伝わってきて、私の胸にその言葉は突き刺さっている。どんな不幸な出来事があったにせよ、生き抜き、日常が戻った以上、そんなに故郷を愛せる人は幸せだ。彼は幸せを手にするべくがんばってきたんだと思う。それなのに日本なんかで死なせるわけにいかないではないか。病院の先生にはなんとしても命はとりとめてやってもらいたい。もともと身体は丈夫なのだ。
 一日も早く−−いや遅くたっていい−−とにかく元気な姿が見られることを願ってやみません。