村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについての感想

週刊朝日はコンビニでは扱ってないらしい(?)

 村上春樹の世界中での評価や受容のされ方(その熱狂ぶりも含めて)については正直違和感を感じているけれど、私は村上春樹の小説もエッセイも翻訳もほとんど買って読んでいるし、「面白すぎて読むのがもったいない」とたいていは思ってしまう。つまりファンです。
 というわけで、週刊朝日にスピーチ全文が掲載されてあるというので本屋で立ち読みした(買わなかったのはほかに読むべき記事がなかったからです。週刊誌を買うといつもたいてい後悔する)。
 ちなみに、サークルKファミリーマートには週刊朝日は置いてなくて、一番近い街の本屋はなんと日曜は定休日だった。まあ無きゃ無いでいいや、と最初は思っていたのだが、こうなったらどうしても読みたいという気がしてきて駅まで行き、駅ビルの中に入っている三省堂へ。
 沢山ありました。コンビニでは週刊新潮週刊文春週刊ポストは置いてあっても、週刊朝日は扱ってないのだろうか?
 内田樹の解説で4Pにわたって掲載されていた。

動き、しゃべる久しぶりの村上春樹

 受賞のニュースを新聞で(ネットだったかな?)見たとき、「これは場合が場合だし、断るんじゃなかろうか」とすぐに思った。案の上、受賞に反対する団体が現れたりした。ところが村上春樹はこの賞を受けるという。もともと公の場にはめったに姿を現さない村上春樹。その姿を日本で見ることは絶滅危惧種並に難しい。さてどんなスピーチをするんだろうと、世間同様興味が湧いた。
 ニュースで見た村上春樹の印象は、何と言っても「歳とったなあ」というのがまずもって率直な感想だった。もちろん誰でも歳は取る。市民マラソンランナーで、毎日走ってるといっても、村上春樹も齢60ともなれば老けるのは当然だ。村上春樹が悪いわけではない。
 次に感じたのは「なんて自信にあふれた力のあるスピーチだろう」ということ。昔ぼそぼそ日本語でしゃべる声だけを何かで聞いた気がするが、その時のイメージとは全く別人だ。外国でなおかつ英語のスピーチだからなんだろうか。

「たとえ卵が間違っていたとしても」とは何を意味するのか

 賞を受けようが受けまいが基本的には村上春樹の自由だ。渦中のその場所へ赴き、現実を自分の目で確かめ手で触れたい、彼はそんなことを言ったが、それもまた悪くない考えだと思う。
 オバマ大統領並に素晴らしいスピーチに対して内田樹も全面的な賞賛を贈っていたが、私には1つだけ気に入らないところがあった。人間の社会に存在するあらゆるシステム−国家やヒエラルキー、さまざまな社会制度など−−を「壁」に例え、個々の人間を「卵」に例えたところには異論はない。それが内田が絶賛するほど素晴らしい比喩だとも思わないが。そして自分はいつだって弱い卵の味方をするんだと村上春樹は宣言したのだった。それもいいだろう。
 しかし、「たとえ卵が 間違っていたとしても」という一言はまったく余計だったし、その意味を考えないわけにいかない。「間違っている、と言ったわけではない。仮定の話をしただけだ」というようなどこかの国の政治家のような言い訳は通用しないだろう。私には、その一言が、賞をくれて授賞式に招いてくれたエルサレムの人たちに対するエクスキューズに聞こえた。そういう一言を述べないといけないんだったら、受賞を鼻から辞退すべきだったんじゃないかと私は思った。
 普段個人的な話題の核心からは徹底的に距離を置く村上春樹が父親のエピソード−−昨年90歳で亡くなられたそうだ。戦争亡くなった方への祈りを毎日捧げていたという−−を披露したこともエクスキューズ的なものを感じる。
 海外のメディアが「村上らしいobscureな表現」で「批判」したと書いたのも、同じ意味ではないかと思う。あいまいでわかりにくい比喩をなぜ用いたのか? それも言葉による表現の力だといえなくはない、ということか。
 世界中が注目する授賞式にたった一人で乗り込んだ日本人が、その賞を授けた人たちを批判するスピーチをするということは相当に勇気のいることに違いない。それは私にも十分わかる。しかしながら、勇気ある行動だった−−現地へ行き世界が注目する中でイスラエルをからめ手ながら批判したわけだから−−ことは認めながらも、そのようなたとえを持ち出し、阿り、気を使わなければならないのなら私はエルサレムにいかないほうがやはり良かったんじゃないかと思った。
 (今回一連のイスラエルによるガザ地区パレスチナ人攻撃に関して)卵が間違っている、という可能性を私自身はみじんも想像できないから、というのがその理由である。村上春樹が想像しうる「卵が間違っている」ケースにはどんなことがあるのか、ぜひ教えてもらいたい。村上春樹ファンの一読者として、今回の件は、健闘を称えるにやぶさかではないが、結果的には残念だったなあ、そんな感想を持ちました。