「写真ノ中ノ空」  谷川 俊太郎詩 荒木 経惟写真

空を撮っても荒木の写真はすばらしい

写真ノ中ノ空
 この写真のほとんどが、どうやら陽子が死んだ直後に「空ばかり写していた」当時のものらしいと、癖のある字で書かれたあとがきを読んで知り、陽子を思う荒木の気持ちを思って切なくなった。
 電信柱と電線の感じから同じ場所で撮ったと思われる写真が多数あり、空の見せる表情の違いが面白い。
 空以外の景色に特徴のない分、なんらかの感情を抱いて空を見上げたことがある誰にとっても、昔確かにどこかで見たことのある空だという懐かしさを思い起こさせるに違いない。荒木よっておそらくは編集されたここにある空は、より以上に人の心と結びつく力を強めていて、ときどき見るものの感情にくっついてはなれなくなる。荒木の写真には何を撮ってもそういうところがある。それはやはり天才にしかできないことだという気がする。少なくとも日本ではそういう写真が撮れる人がほかにいないと私は思っている。
 体裁について一言言えば、荒木の写真と谷川の詩を上下に置いて、縦書きで見せるというスタイルは斬新かもしれないが、この綴じ方の本では写真も見にくいし詩も読みにくいと私には感じられた。

(初出 BK-1 2007/05/21)