「生きることを学ぶ、終に」  ジャック・デリダ著 鵜飼 哲訳

「死」こそが「生」を学ぶ唯一の場であるらしい、ということ。

生きることを学ぶ、終に
 まず初めに、鵜飼哲さんのすばらしい訳と文章に敬意と感謝を申し述べたい。
 死という現象の及ぼす力は、「生き残った」生者の側に??死んだ側にではなく??のみ、多くの場合悲しみや怒りとしてもたらされる。「あんなひどい死に方をしてかわいそう」とか「天寿を全うして幸せな人生だったわね」とか人は言うが、よくよく考えれば、死んだものにとって、「死」はもはや悲しみでも喜びでもない。
 デリダにもとうとう、「生き残り」ではなく、死を受け入れる「当人」となる瞬間が迫りつつある。この、おそらくは偉大な哲学者にとっても、死と生の両方を同時に体験することはできないが、そうした歯がゆさをも生へのベクトルに変えてしまう哲学者の“挙措”こそが感動を呼び起こすし、勇気を与えられもする。
 また、デリダという人が、死を恐れながらも、生を肯定し続けた全き哲学者であったと、この小さな本を読んで信じることができる。彼の言葉や態度は権威や地位、名誉などに対して無関心だ。デリダのやってきたことは結局のところ、国境や人種、性による制約を取っ払って、全ての人が知を深め、考え、議論できる環境を作る努力だったといってよいのかもしれない。1つの強国やマスメディアのような既成の権力ではなく、「独異的な」個人、または小さな組織・国家がまず確固として存在できることが「脱構築」の概念を実践するベースだからだ。あらゆる偏見やいかなる圧力からも自由な場所で、議論し、考え、再構築すること。それはまさに古い命が死んでは、新たな命が生まれることの繰り返しとしての人間の営みそのものにつながる正のイメージである。デリダが死と引き換えに「生きることを学び」得て、満足とともにその生を終えたことを願わずにはいられない。

(初出 BK-1 2007/05/01)