「宇宙で地球はたった一つの存在か」 松井 孝典編著

この本をテキストに「宇宙学」「地球学」を学生の必修科目としてはどうか

宇宙で地球はたった一つの存在か (ウェッジ選書) [ 松井孝典 ]
 タイトルのとおり、本書のテーマは地球あるいは人間という存在が「普遍的」なのか「特異的(特殊)」なのかの探求にある。なぜそれが重要な問題かといえば、特殊な存在ならば、私たちはこの宇宙で「ひとりぼっち」だということになり、よって立つべき普遍性などないということになる。私たちが、私たち人間だけの豊かさや繁栄のために、この先も右肩上がりに突き進むこともあながち間違いではないという論拠ともなりうる。しかし、もしどこかに普遍性を見出すならば――科学者も哲学者も文学者もそれを求めてきたはずだ――人類は広大で普遍的な宇宙の論理の中にいるちっぽけな一員にすぎず、進むべき道を考え直す必要があるのではないかとこの本は投げかけている。
 4部構成の第3部までは4人の執筆者によって、地球や生命の普遍性について研究成果に基づく検証と考察がなされている。個人的に特に興味深かったのは「チューブワーム(および共生するバクテリア)」という生き物の存在である。この生き物は海底火山や海底活断層帯に棲み、海底に噴出する熱水に含まれる硫化水素をエネルギーに変えて暮らしており、太陽エネルギーに依存していない。つまり、生命を維持するためのシステムとして、光合成食物連鎖が普遍的であるとは限らないことを示しており、非地球的な環境における生命存在の可能性を示唆しうる。
 第4部では、前3部までの検証・考察を踏まえて編著者である松井先生が問題の核心に迫る。もし科学的な話が苦手なら、この章だけでも十分読む価値がある。
 地球という惑星も(人間を含む)地球の生命体も、「宇宙でたったひとつの」特別な存在かどうかは実のところよくわからない。比較惑星学の研究成果から言うと、地球という星は、少なくとも銀河系レベルではありきたりな星ではないようだが、銀河系外には気の遠くなるような宇宙が広がっている。そのうえ宇宙は「ユニ(1つ)」バース」ではなく「マルチ(複数の)バース」かもしれず、もしマルチバースなら「この」宇宙で普遍的な物理理論さえその普遍性が怪しくなりかねない。まさしく混沌の中に放り出されることになる。
 「一方で」と松井先生は言う。「地球の文明には、もしかすると普遍性があるのではないか」と。「言葉を明瞭にしゃべれる」という能力を持った人類は、ネットワーク化した神経細胞により脳の内部に「特殊な」外界を投影しながらマルチユニバースのような科学的に認識される外界とは別の内部モデルを作ることができるというのが、その仮説の根拠である。
 仮に他の星にも、自分以外の星に出かけたり、宇宙に向けて交信できたりするほど高度な文明を持つ知的生命体がいるとするなら、私たち同様内部モデルを脳内に創造できる能力が不可欠である――そういう能力を持たない生命体にそれほど高度な文明は持ち得ない――はずだ。そうであるなら「高度な文明」というものには「普遍性」があると言ってもいいのではないかというのが松井先生の考えだ。
 また、スピードの速さこそが文明の本質でもあり問題でもあるという指摘も面白い。それはまた人間の欲望に起因するものだとも結論している。したがって文明によってもたらされた危機――たとえば地球温暖化であり、人口の急増による食糧危機である――を乗り越えるには、その欲望をコントロールするしかない、と。そのために私たちがすべきことは「人類が宇宙人であるという認識を持つこと」だと述べられているが、少なくとも本書では希望・期待にとどまっているところに事態の深刻さを感じる。地球の普遍性を考えることは、何のために生きているのか、本当の豊かさとは何かを考えることとつながる。私たち一人一人がもう一度自身に問い直す必要がある。しかも早急に。本書はその手助けになるに違いない。

(初出 BK-1 2007/09/06)