日本には拓郎がいた−−2006つま恋。あわせてストーンズ、小田和正。

今更気づいたストーンズのすごさ。

 分ける必要もないとは思うのですが、まあ大雑把に言ってビートルズ派かストーンズ派かという分け方は確かにあるようです。そう問われれば昨年までは圧倒的にビートルズ派だった私ですが、今年2月のスーパーボールのハーフタイムショーでそのパフォーマンスを見て、「60歳を超えてあのパフォーマンスとパワーは人間業じゃない」と打ちのめされ、直後のジャパン・ツァーでの来日で一気にローリングストーンズにはまってしまいました。
 その後キースが木から落ちたり、ミックの声が出なくなったりしたと聞いて、「やっぱり人間だったか」とちょっとがっかりしたり、ほっとしたり。あと何年あの調子でやれるのかわからないけれど、超人的なバンドに違いありません。最新アルバム「a bigger bang」はいいアルバムでした。その核心にある反骨精神には数十年にわたって磨きぬかれた分厚さを感じます。好きか嫌いかはともかく。そこにはしなやかさと美しさが確かに含まれている気がします。
A Bigger Bang
※この本は、まあとにかく強烈なストーンズ・ファンと自他共に認める、作家・山川健一がツァーにあわせて書いた本で、その熱はごりごりと読者に伝わってきます。自身のしたインタビュー話などを織り交ぜながらストーンズのこれまでがざっと語られていて、私のようなストーンズ初心者にはなかなか面白く読めました。
ローリング・ストーンズ伝説の目撃者たち

最近の小田和正も嫌いではない。

 日本では最近、小田和正団塊の世代の代表的歌手みたいな取り上げられ方をしています。TVで見たコンサートの後半では、得意の高音はもう出せなくなり、多少自虐的とも思えるパフォーマンスが痛々しくさえありましたが、彼はそれでも58歳の今の自分を「包み隠さず」ありのままの肉体と思いをぶつけて、観客を−−つまりは自分を鼓舞しようという明確な意志の元に歌を歌い続けていました。
 最新(といってももう1年経ちますが)アルバム「そうかな」はいいアルバムだと思います。歌詞はノスタルジックなものが目に付きますが、それが今の小田さんの正直な気持ちだと切実に伝わってきます。
 ストーンズには−−少なくとも私は−−ノスタルジーのようなものをあまり感じない。彼らは今でも前しか向いていない気がするけれど、昔からのファンにはどうなんでしょうね? 小田さんは、後ろを振り返り始めた気がする。そういう感情は人間として自然だし、私は小田和正という人のそういう歌も嫌いではない。私の中ではストーンズ小田和正は共存可能です。
そうかな

拓郎復活!「2006つま恋」の拓郎は最高でした。

 この週末、静岡県つま恋で、吉田拓郎かぐや姫のコンサートがありました。31年ぶりのつま恋。BSハイビジョン放送で見ましたが、これがちょっと予想をはるかに上回る感動でした。
 申し訳ないですがかぐや姫のことはおいて、拓郎について少し書きたいと思います。
 私が拓郎をかなり聴き込んで(歌い込んで)いたのは大学に入ったばかりの頃でした。アパートの隣の隣にいた同い年の大学生S君が拓郎ファンで−−日本でも昔は拓郎ファンか陽水ファンかという分類がありましたが、それはともかく−−、「ギター弾くから歌ってよ」というわけでよく飲んで歌ってました。
 コンサートにも何度か行きました。その頃行った武道館でのコンサートはライブアルバム「王様たちのハイキング」という2枚組レコードになってます(CDにもなってるようです)。
王様達のハイキング IN BUDOKAN(紙ジャケット仕様)
 あの頃の拓郎はかっこよかった。歌はもちろんだけど、背が高くて足が長くて、話すこともかっこよかった。世間的にはもうフォークの時代は終わっていたし、オールナイトニッポンなんかはよく聞いてましたが、TVに露出するようなことはあまりなかったんじゃないでしょうか。伝説の「つま恋」も「篠島」ももう昔。でもまだまだ荒々しかった。ラジオで浜田省吾に喧嘩売ってたのを覚えてますね。誇り高くて、シャイで、「長いものなどに巻かれやしないぞ」という戦う姿勢を言葉の端々に感じた。私は1曲でも多く知りたくて中古LPを買いあさり、その友達にもらったテープなんかを聞きまくりました。若かったせいもあるのでしょうがどの歌も心に響きました。あの頃までの拓郎の歌にはくずはほとんどないと今でも思います。
 その後興味の中心がクラシック音楽に移ったせいもあり、30代はあまり聴かなかった。たまに出る新譜はどうもつまらなくて(あまり聞いてませんが、実際いくつか聴いた曲にはがっかりしてました)、シングルの「唇をかみしめて」(いったいいつ出たんだろう?)あたりを最後につい最近まで拓郎の新しい歌はほとんど知りません。
 そうこうするうちにふとつけたTVに出てたりして、それがキンキ・キッズとやってた歌番組でした(そのせいか若い人の姿も少なくありませんでした)。拓郎の姿を見るのは楽しかったし、「なんだか丸くなったなあ」などと思いつつ結構見てました。それでも積極的にまた歌を聴こうとかコンサートに行こうとかまでは思いませんでした。たとえて言えば、昔通ったドライ・マティーニのうまい店に久しぶりに行ったら、バーテンダーが代わって、注文したカクテルはまずいわけじゃないけど、「なんかキレがないな」という感じですかね。
 この2006のつま恋も、知ってはいたのですが、行こうとまでは思わなかった。でも今はとても後悔しています。
 肺がんで「死ぬかもしれない」と思って、拓郎の中で何かが決定的に変わったんじゃないでしょうか? TVで見ていても最高でした。私が一番はまっていた頃とほとんど同じ拓郎でした。ちょっと太って髪は薄くなり(あの頃は長くてパーマかけてました)、声も出なくなってきたけど、なんていうか魂が入ってました。20数年の時間を越えて今聴いても(歌っても)変わらぬ感動を覚えられるというのはすごいことです。全然陳腐化していない。あの頃の拓郎の歌は本物だったし、これからの拓郎の歌にも再び期待したくなってます。
 選曲がまた涙もんでした。「言葉」「サマータイム・ブルースが聴こえる」「ああ青春」「冷たい雨が降っている」「春だったね」「外は白い雪の夜」「この指とまれ」「ビートルズが教えてくれた」「人生を語らず」「落陽」「今日までそして明日から」。そうこなきゃ、って感じです。サプライズ・ゲストの中島みゆきとのデュエットもよかったです。「アジアの片隅で」なんかも聴きたかったなあ。
 「落陽」は私が行ってた頃でも、もう飽きちゃってるし、客が全員で大声で歌うものだから途中からもう歌ってませんでしたが、この日もおんなじでした。そんなどうでもいいことを発見してなんだかうれしかったりする。ファンとは奇特なもんです。昔は「勝手にやれよ」ってな感じに見えたけど、「ほんと好きだねえ」なんて言いながら今回はとてもうれしそうでした。
 3ステージあったらしいのですが、最後のステージしか見てないので、10/29にやるという総集編をぜひ見たいと思っています。
 拓郎もこの春還暦!を迎えたそうです! なんと。とてもそんな歳には見えないステージングでした。アメリカにストーンズやボブ・ディランがいるように、日本には拓郎がいました。秋のコンサートツァーがあると番組の進行役をやってた坂崎幸之助が言ってました。チャンスがあればぜひ行きたいと強く思ってます。