チャン・ツィーと黒木瞳

 最近、たてつづけにこの二人を追った番組をBSハイビジョンで見た。両方とも1年ほど前に放送されたものの再放送で、少なくともチャン・ツィーの方は前回も見た記憶があった。

チャン・ツィーの衝撃

 アカデミー賞外国語映画賞を取った「グリーン・デスティニー」のチャン・ツィーは衝撃的だった。個人的な印象はむしろ、ただ「美しい」というよりも、その野性(それはもちろん役柄のせいでもある)であり、「いったいこの女優はだれ?」と気になって仕方がなかった。むき出しの敵意。しなやかな動きは、野生の動物のように無駄を感じさせず、つまり美しい。ヒョウやチータのようだ。圧倒的に輝いていた。
 そういう女優の輝きに出会える機会は稀有ではあるが、もちろん皆無ではない。例を挙げるなら、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマン、「ティファニーで朝食を」や「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。最近だと「タイタニック」のケイト・ウィンスレットなんかもそうかもしれない。このあたりの選択は個人的な好みと引き離しがたく結びつくので、人それぞれ違うだろうが、より多くの人が「輝き」に感動すれば、彼女は「スター」となる。
 そしてチャン・ツィーもスターとなった。
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今の日本を代表する女優・黒木瞳

 黒木瞳は、もちろん日本の大スターである。ちなみに彼女を追ったドキュメント番組のシリーズタイトルは「輝く女」。まさにそういう感じ。番組の中の彼女もほんとうにキラキラと輝いていた。「美しさ」−−特に女性の美しさというのは「どちらが1番」などと順番をつけるのは難しい、というよりあまり意味がない。60億の人間が生きているのだから「美しさ」の基準も多様であって当然である。
 なんでこんなことを書いているかというと、美しさや魅力において決して劣らない黒木がツィーのように世界的な仕事の場を与えられないのはなぜか?というようなことを考えてしまったからだ。ツィーが「すばらしい監督(チャン・イーモウ)とすばらしい作品のおかげで世界で活躍するチャンスが与えられた」と語ったのとは対照的に、黒木は国内向けの作品にしか出ていないということかもしれない。しかし黒木瞳という人は、掛け値なし根っからの女優である、と私は思っている。「(これと思った作品のためなら、ということだと思うが)いい作品を作るためならなんでもやる」というようなことを、いつだったか、どこかで話していたと記憶している。当たり前のようだが、当たり前ではない。現実に生きている人間なわけだし、彼女は妻である母親でもある。その発言からは、究極の場面では「家庭よりも仕事を取る」という意志を強く感じたのでよく覚えている。(世間的な基準で言うと)それが果たして立派なことかどうかはわからないが、そのくらいの覚悟を持って女優という仕事をしているという信念がある。つまり意識が芸術家だということである。「この人は本当にやりかねない」という恐ろしささえ感じたのであった。だから、いずれ世界に打って出る日がやってくるのではないかと期待している。なぜそんな期待をするかといえば、少なくとも21世紀初めの日本の女性の美しさ−−容姿だけでなくメンタリティや民族性、文化的出自も含めて−−を最も代表している人だという気がしているからである。

チャン・ツィーと黒木瞳に共通するコンプレックスと強烈なプロ意識

 ところで、ツィーと黒木にはスターに上り詰める過程や女優という仕事に対するメンタリティに似たところがある。ツィーは北京のダンス・スクールに通っていた。しかし、踊りを始めたのは(一流のダンサーになるためには)遅く、その美貌のおかげで推薦を得て権威ある大会に出場し、必死の努力を重ねた結果入賞を果たしたものの、本人は「一流のダンサーになるのは難しい」と自分の実力を見切っていた。彼女は言っていた「自分くらいの才能ではバックダンサーになるのがせいぜいのところ。でも私は絶対にバックダンサーにはなりたくなかった」。そして演劇学校に入学する。しかし、現役入学が難しい難関を17歳という最年少で合格したのが逆に災いして、人間としての底の浅さが露呈してしまう。つまりコンプレックス、挫折の連続だったのである。いずれもくじけそうになりながらも、彼女は自分で考え、克服する。その大きなモチベーションは、(多大な負担を背負って)自分を学校に行かせてくれている両親に報いなければならないということだったようだ。同じことをがんばることができた大きな動機に挙げる人は少なくない、ということは覚えておいていいことだと思う。

 一方、黒木は、福岡の田舎育ちの少女だった。ご存知のように宝塚に入学。大地真央の相手役を努め、娘役トップにまでなったが、本人はコンプレックスの塊だったそうだ。彼女もまた子供の頃からバレエや日舞を勉強したいと思っていたが、そういう環境にはなかった。だから、宝塚での訓練と実績にもかかわらず、自らの歌や踊りへの評価は驚くくらい低い。「ちゃんと人に習って勉強していない」と言う。
 この番組ではニューヨークに歌と踊りの個人レッスンを受けに行くのだが、コーディネーターの女性が、踊りの指導を受けるトレーナーがボブ・フォッシーの弟子だと誇らしさを抑えるように言っても「ブロードウェイに出るという気はさらさらありません。畑が違うと思ってますから」と即座に切り替えした。
 ここでも、黒木がダンサーや歌手ではなく、「女優」という仕事を自分で選択したのだという強い覚悟とプライドが強烈に伝わってくる。しかし、言うまでもなく、それは歌い踊るミュージカルを極める道をあきらめたということでもあり−−黒木は「私は宝塚のファンだから」と話していた−−、そこには挫折とコンプレックスの感情が渦巻いてもいるのである。ただ、普段はそんな感情は微塵も見せないけれど。