ロストロポーヴィッチさんのご冥福をお祈りします。

 新聞等の報道によれば、世界的なチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィッチさんが4月27日、モスクワで亡くなられたとのこと。謹んでご冥福をお祈りします。
 私は彼のチェロを実演で聞いたことはありません。残念には思いますが、現実には私がクラシック音楽を聴くようになったよりも遥か昔からチェロの大家中の大家でしたので、仮に日本で公演があったとしてもチケットは高価ですぐに完売、いずれにしても聴けるチャンスは多くなかったろうと思います。
 彼の演奏するCD(またはLP)を2枚持っています。両方ともドヴォルジャークのチェロ協奏曲とチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」の組合せ。LPはカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演(1968年録音)、CDは小澤征爾指揮ボストン交響楽団とのもの(1985年録音)です。1927年生まれだそうなのでそれぞれ41歳、58歳の時の録音ということになります。

ジャケット写真の中のロストロポーヴィッチ

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
 ジャケットの中の41歳のロストロポーヴィッチカラヤンに負けまいとするかのように厳しい表情、腕まくりをして写真でも対等に配されています。私のチェリストのイメージは「大工さん」なんですが、この写真の彼はまさしくそんなイメージです。
 一方、小澤とのCDの写真はどうどうとチェロを構えるロストロポーヴィッチを小澤が神妙に見上げるという構図。今では小澤(1935年生まれですので8歳年下ですね)とロストロポーヴィッチは大変親しい友人関係のようですが、このときはどうだったんでしょうか。小澤もすでに天下のボストン響を率いていたわけですから臆するところもなかったとは思うのですが。

小澤・ボストン響とのドヴォルジャークのチェロ協奏曲〜小澤を巡る謎

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
 我が家では、とうとうレコードプレーヤーが故障してしまい、今LPは聴けない環境なので、CDの方を聴きながら書いていますが、正直これまであまりこのCDは聴いていません。
 音楽評論家の宇野功芳氏の解説によれば「彼(ロストロポーヴィッチ)自身、過去のどのレコーディングよりも優れていると認め、今後はいっさい堂曲を録音しない」という誓約書をレコード会社にだしたのだそうです。確かに今聴いているロストロポーヴィッチのチェロは時に軽やかに、時には十分にたっぷりと歌い、ロストロポーヴィッチらしい軽々とした自在の演奏だと思います。だから私があまりこの演奏を気に入っていないのはおそらくオーケストラのほうに原因があるということになります。小澤の指揮は実演ではいつでも本当にすばらしい。大きな感動を必ず与えてくれます。私が聴いたのはサイトウ・キネンばかりですが。しかし当時のボストン−−あのミュンシュから引き継いだ−−がメカニカルな意味でもオーケストラの成熟度から言ってもサイトウ・キネンと比べて力が落ちるなんてことがあるはずもなく−−サイトウ・キネンの成り立ちやメンバー構成の特異性が音楽に影響している面は当然あると思いますし、その求心力はすばらしい力になっていることは確信していますが−−私にはその理由はよくわかりませんが、たとえば金管の音はこのCDでもなんだかあまり気合が乗っていない気がするとか、そういう細かいことのせいではないけれど、ひょっとするとそういう細かいことの積み重ねなのかもしれません。さらに正直に言ってしまうと、事実として録音された小澤のレコード・CDで繰り返し聴いている愛聴盤というのは意外に少ないんですね。なぜかは自分でもよくわかりません。私にとっては大きな謎の1つです。
 チェロ協奏曲の演奏時間を見ると、85年の演奏のほうがむしろ、各楽章ともほぼ1分短くなっています。概して小澤の演奏は速くて引き締まった表現のものが多いように思いますので、テクニカルにまったく問題のないロストロポーヴィッチが小澤の解釈に同意して、このスピードを選んだのかなと推測します。

ときどき聴きたくなるカラヤンとの共演盤

 で、私の印象に残るロストロポーヴィッチの演奏はカラヤンとのこのLPであり、この2つの曲の今のところベスト盤でもあります。尊敬する吉田秀和さんがこの演奏については詳しくどこかに書かれていますが、1度聴いてまさにその通りの演奏だと思った記憶があります。表現の深さ、重さという点ではもっと優れたものがあるかもしれないとは思いますが、演奏の鮮やかさにおいてこの演奏に優るものを知りません。メカニカルな部分を重視するカラヤンの好みにも合ったんでしょうね(ついでに言うと私はカラヤンよりはかなりベームに肩入れしています)。愛聴盤ではないかもしれないけれど、時々聞きたくなるレコードではあります。ちなみに私はドヴォルジャークのチェロ協奏曲では、1960年録音のミュンシュ指揮ボストン交響楽団、ピアティゴルスキーのチェロというCDを持っていますが、あまり聴いていないので、おそらくカラヤンロストロポーヴィッチ盤には及ばないと思ったのではないかと思います。
 
 旧ソ連の世界的音楽家という彼の立場や亡命し、平和と自由のメッセージを繰り返してきた戦う芸術家という面も彼にはあり、彼の勇気には敬意を表したいと思います。
 チェロの演奏家の系譜としては、あのパブロ・カザルスを継ぐ大家というイメージがあります。ヨーヨー・マが登場するまでは「チェロといえばロストロポーヴィッチ」みたいな。
 いずれにしても20世紀を代表する数人のチェリストの1人に間違いなく名前を残した偉大な音楽家がいなくなって、もう二度と実演に接するチャンスがなくなってしまったということはとても残念です。感謝を込めて最後にもう一度ご冥福をお祈りしたいと思います。