吉田拓郎「午前中に・・・」少しじっくり聞きました。

 なかなかがっちりじっくり全部聴けてないけれど、聴きどころはちゃんと聴いたつもりです。
 感想は・・・なんていうか、ちょっと心配になっちゃいました。
 「拓郎っていつからこんなに悩み多い人になっちゃったんだろう」というのが、私が率直に、また何よりもまず思ったことでした。もちろん肺がんが大きな転機となったであろうことは想像がつくわけですが。

 まだ60過ぎたばかりなのに(63歳でしたよね、確か)、もう人生も最終盤、マラソンレースでいえばもう競技場に入りトラックを回り始めたみたいにしみじみ振り返っちゃってます。
 これはもう歌がどうとかいうアルバムではないです。
 今どこでどうしてるのかわからないけど、とにかく悩みすぎだって、拓郎。
 拓郎がそんなじゃ困っちゃいます。本当に心配になってます。泣きだしかねない気持ちになりました(大人だからそう簡単には泣きませんけど)。

「悩みのるつぼ」における作家・車谷長吉の答え

 偶然ですが、今朝の朝日新聞の週末版be連載の車谷長吉さんの記事はまさに「心配しすぎ」という話でした。

 「心配に取りつかれています」という80代のおばあさんの相談に車谷はこう言ってます。
 「お釈迦さまは、人生は四苦八苦に貫かれていると説かれました。四苦八苦とは・・・」と語り始めます。

  • 愛別離苦(あいべつりく)
  • 求不得苦(ぐふとっく)
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
  • 五陰盛苦(ごおんじょうく)

 この8つが四苦八苦だそうです。それぞれの意味を説明した後、車谷はこう言います。
「つまり人生には救いがないということです。その救いのない人生を救いを求めて生きるのが人の一生です」と。そしてそのためにこそ文学や宗教というものがあるんだと。
 車谷の「私はその苦についてのみ考えて生きてきました」という言葉には静かな重さがあります。たぶん本当にそうなんだろうと思うから。何かを読んでそう思いました。「塩壷の匙」だったか、何かのインタビューだったか。
鹽壺の匙 (新潮文庫)

Fight!

 なんていうか、世間のいろんなものと闘い、ときには酒飲んで真面目に女の子を口説いたりして、そういう拓郎が好きでした。
 たぶん拓郎は「苦についてのみ」考えてきた車谷長吉とは違う生き方をしてきて、車谷長吉の深すぎる諦観というものはすさまじいと思うけれども、拓郎の闘いぶりだってなかなか勇敢だったはずです。何たってカッコよかった。
 うまく言えないけど、人生はどうもそういうものらしい。期待しすぎると思い通りいかない事態に心配しすぎるし、かといって何も期待しないでは生きるのがつらい。人間とは実にやっかいですね。

 拓郎さん、元気出してください。