平尾という男、やはり只者ではない。

勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)
 私のラグビー観戦歴において平尾誠二は最大のスターだった。ほとんどのゲームをリアルタイムで見てきた。この本の中には「あのとき、平尾はそんなことを考えていたのか」というような話もいくつもあって、それも興味深かった。
 95年平尾は神戸製鋼で7連覇を成し遂げた後、96年1月サントリーに敗れ8連覇を逃した。この本はその後日本代表監督に就任する直前に書かれたもので、選手としてのラグビー人生を総括し、今度は指導者としての次なる挑戦を期して書かれたものである。「わたしの現役選手としてのすべてが、この本にはある」と語っているとおりだ。
 本書は傑出したラガーマンである平尾誠二ラグビー人生を振り返った自伝であり、彼の目指すラグビーとは何かについて書かれている。しかしそれだけにとどまらない。今でこそプロもいるが、当時の日本にはラグビーのプロ選手はいなかった。そういえば日本人初のプロ・ラグビー選手で元東芝府中(現ヤマハ)のスクラムハーフ村田亙が先ごろ引退を発表したばかりだ。
 平尾自身は、アマチュアゆえにビジネスマンとして神戸製鋼で世界を相手に仕事をするという経験持ちえたし、より一般人に近い視点で物事を考えることができた。プロという選択肢がなかったからこそ生み出された組織論・マーケティング論、さらには人生論でもある。そういう意味でスポーツ選手が書いた本としてはユニークな本だと思う。
 元々言葉に興味があったというし、子供のころから「僕はどこから来たのだろう」などと考えていた子供だったというから、平尾はものを考えること、それを言葉で表現することをいとわない人間なのだろう。「言葉というのは『釣り針』のようなもので、相手の心に一度突き刺さったら、抜けないようなものでなければならない」といっているが、言葉の力を信じていなければ――つまり自分の言葉に対して常日頃から意識的でなければ出てこない発言だ。好きで、得意でスポーツ選手になったのだから、何よりスポーツをやることで自己表現することができるというのが普通だろう。平尾も「ラグビーは自分を表現する手段」だと考えているとも書いているから、その例に漏れているわけではないし、現役時代の彼の考え抜かれた緻密さを感じさせながら華麗なプレースタイルにはまさに平尾という男の価値観が表現されていたと思う。それに加えて彼は言葉での表現にも長けていた。ラグビーと言葉という2つの表現手段に精通しているうらやましい男なのである(しかもカッコいい)。
 平尾の言葉や思考は独特だ。いわく、
「バックスのライン攻撃というのは、わたしは『ムチのようにしなる』ものだというイメージをもっている」
「相手がどれだけ強くなっているのかわからないのに、優勝などといっても無意味であろう」
神戸製鋼はゲームをするたびにうまくなる、と言われるが、そんなことはあり得るはずがなく、情報の流し方がうまくて、キャッチする情報が的確なのだ。だから、次のゲームまでに的を絞った練習ができるのである」
 平尾が、ラグビーにおいても生きる上でも、一貫して大切にしていることはまず「自ら考えること、イマジネーションを働かせること」である。そして考えたことを遂行するためには「信じる力を高めること、そのために最大限の努力をいとわないこと」が重要だと平尾は考える。そういうことを考え、しかもそれが大きな効果を生んだのは、彼の選択したスポーツがラグビーだったということと大いに関係があると思う。
 優秀なスポーツ選手はたいてい頭もいいとわたしは思っているが、どんなスポーツでも練習を重ねることで肉体に刻みこませ、自動的・反射的に動かないととても追いつかない部分が少なからずある。訓練によって大きく改善可能なこともあるが、持って生まれた能力への依存が高くて訓練によるレベルアップが困難なことも多い。たとえば100m走などのような、特定の運動能力自体を争うようなスポーツで、かつ1人で行うスポーツほどそ部分の割合は高くなる。
 ラグビーという競技はその対極にある。人数は15人と、アメリカンフットボールをのぞけばチームスポーツの中でもとりわけ多人数だし、ルールは複雑だ。フォワードはレスラーか相撲取りのような体格と腕力が必要とされるが、バックスはスピードやキック力が要求される。こうしたまったく異なる才能や要素をいかにうまく高いレベルで統合できるかが、強さと大きくかかわる。そのためには言葉の力が――考え、イメージする能力が大きな威力を発揮する。異なる考えや価値観を融和させ相互理解を深めるには、コミュニケーション能力が求められるのは当然である。平尾の言う「ラグビーは『関係』を発見するスポーツである」とはそういう意味でもあるだろう。
 今は代表を離れ神戸製鋼ラグビー部のGMという立場だったと思うが、再び代表監督に復帰してほしいと願うのはわたしだけではないだろう。ただ、代表監督という立場では、――前回が失敗かどうかはともかく――そう何度もやり直すというのは難しい。なぜ日本は勝てないのか、充分考えを練りこみ、十全な準備を重ねた上で、今度は満を持しての登場とならざるをえない。
 「優勝するということは、あまたあるラグビーチームのなかで、トップに立つということで、強い、弱いではなく、優勝にふさわしいチームかどうかで決まる、とわたしは感じている」と平尾は言う。してみるとワールドカップで日本が活躍するにはワールドクラスの人間集団にならないといけないわけだ。振り返って日本のラグビー界の現状はこのところさびしい限りである。特に日本ラグビー界の花形といっていい大学ラグビーでその凋落振りが顕著なのは、残念この上ない。
 このところあまりメディアにも登場しないが、「スペースというのは可能性である」――そんな言葉を口にする男の再登場をラグビーファンは待ち望んでいる。

平出隆著「ウィリアム・ブレイクのバット」

ウィリアム・ブレイクのバット
 山崎ナオコーラの「人のセックスを笑うな」について、「タイトルを見ただけで、もう賞(文藝賞)はこの人に決まりだと思った」という趣旨のことをどこかで高橋源一郎が言っていた。この本のタイトル「ウィリアム・ブレイクのバット」を目にしたときの「これは読まないわけにはいかない!」という喜びもこれに近い。
 私が最初に読んだ平出隆は「猫の客」で、なぜ手にとったのか今では思い出せないが、一発でこの人の文章に引き込まれた。彼の著作はもともとあまり多くない上に、何冊かを除いてなかなか手に入れるのが難しい。だからなおさら、というべきか、私には、今そのどれもが−−小説もエッセイも詩も−−とても貴重な宝物みたいに思える。
 詩人の最大の武器は、目利きよろしく正確に言葉を選びだし、適切な場所に配置する力である。波に洗われ、海岸に堆積して、埋もれてはまた現れる砂粒のごとき膨大な言葉たちの中から、詩人はひとつの言葉を選び取り、別の言葉と結びつける。結びつけた言葉の間のダイナミクスが大きいほど強い効果が生まれる。
 ウィリアム・ブレイクとバットは、常識的にはなかなか結びつかないわけだが、詩人はこれをいとも簡単に結びつけてしまう。
 ベースボール好きの詩人は、ウィリアム・ブレイクの「無垢の歌」の中の詩「こだまする緑の原」の挿絵に描かれた少年の握る杖状のものがバットだと、あるとき気づくのだ。18世紀のイギリスには、すでにベースボールという遊びが存在した。詩人はその事実を知っていたが、それがバットだと気づくには少し時間がかかった。この詩人の「気づき」をベースボール好きゆえとのみとらえるのはおそらく正しくない。私には詩人の想像力の中でウィリアム・ブレイクとバットはやがて組み合わされるべき言葉としていつの頃からか存在していたと思えてならない。それは、経験や学びの蓄積としての詩人の身体の内奥で、この世に生まれ出る必然性を溜め込みながらふつふつと熟成していたのだという気がする。少年の手にする棒状の何物かをバットだと認識したその瞬間、赤ん坊が「おぎゃあ!」と叫んでこの世に生まれでるごとく、詩人の指先からその言葉はつるんと滑り落ちた。世界のあらゆるものはおそらくはこのようにして生まれ出る、そこに偶然など入り込む余地はないと思えてしまう。
 「なあんだ、それじゃあ詩人が考え出した言葉(の組合せ)じゃないじゃん」という人がいるかもしれない。確かに、詩を書き、挿絵を書いたのはブレイクに違いないが、「ウィリアム・ブレイクのバット」という言葉を宇宙に産み出したのは平出隆なのであってブレイクではない。その挿絵を見た人で唯一−−あるいは初めてといってもいいが、こういう場合「唯一」と「初めて」は当然同じ意味になる−−平出隆だけが活字にしてみんなの前に提示した。
 エッセイというジャンルゆえ、テーマや素材には多少のゆるさがあることは否めないが、詩人の言葉を紡ぐ確かさ、切れ味の鋭さを十分味わうことができる。「世界の果て書店」「ラウル・デュフィの野球場」「自動車神社」「絶対初心者マーク」などほかにも魅惑的なタイトルのエッセイが目白押しである。タイトルの一つ一つが詩の言葉そのものだといっていい。さらにギリギリした厳しさをお望みなら、彼の詩を読むべきだろう。
 全部読み通すと、ベースボールの話が多いのはともかくとして、後半の運転免許がらみの話の数はやや多すぎるキライがあるけれども、そんなことは何ということもない。読み終えてしまうのがもったいないほど楽しい本である。
 最後に、緒方修一さんの装丁のすばらしさにもふれておきたい。こういう本では、手にしたときの喜びという点で装丁の持つ意味は小さくない。白い紙の質感にもデザインのシンプルさにもセンスの良さを感じる。その潔い美しさがこの詩人の文章にふさわしい。

明日を信じてチャレンジする勇気−−上原ひろみ、羽生善治。

上原ひろみ サマーレインの彼方
 上原ひろみのコンサートについては以前にも書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/Uu-rakuen/20051125)、この本を読んで改めてそのすごさに圧倒されました。彼女は常に全身全霊を傾けて音楽に取り組んできたことを私は信じることができます。彼女のコンサートへ行った人はみんなそう思うでしょう。
「(お客さんの反応が悪くても)けっしてあきらめてはいけないんです。(中略)全力でやっていれば、自分の思いもよらないところで、いい反応をもらえたりするからです。力を出し惜しみしたら、そこには何も起こりません」と、この本の中で彼女は答えています。
 「力を出し惜しみ」する−−「今後に備えて今は少し手を抜いておこう」などということは、好きなことをやっていて、何かを成し遂げたいと思っている人にはありえない態度なのだと実感できます。
 彼女は高校生の頃すでにチック・コリアと共演するほどの天才だけど、すべては音楽の為に、計画を立て、準備を整え、名門バークリーでもチャンスを勝ち取る為にできる限りあらゆる努力をしてきたことがこの本を読むとわかります。
 大切にしていることは「努力、根性、気合」だと彼女は言います。今の彼女−−名門レーベルと契約しワールドツァーで世界中をめぐっているジャズミュージシャン−−の答えとしては、これはすごい言葉だと思います。電子楽器を肩に背負って、太平洋のまぐろみたいに泳ぎ続ける上原ひろみという26歳の女の子にとって、世界中の聴衆を相手に自分の音楽を伝えきるためには、確かに「努力、根性、気合」は不可欠に違いありません。命がけだということがビシッと伝わってくる。
 そしてもう1つ、私の気に入っている彼女の美点は、それでもなお自分を育ててくれた人に対する感謝を忘れず、生まれ育った故郷(浜松)を愛し、自分という存在に対して謙虚なところです。
 音楽家としてのヴィジョンは?という質問に彼女はこう答えます。
 「音楽に関しては、ずっと勇気を持ち続けていたい。(中略)たとえいい評価をいただいたとしても、現状にけっして満足しないで、その次にはまったく新しいことにチャレンジできる勇気を持ちたい」と。
 彼女のような人が謙虚であるということは本当に美しいことに思えます。今日の自分に満足しない。もっと成長したい、成長できると信じている。だから彼女のライバルは「昨日の自分」なんですね。すごいと思います。

羽生善治上原ひろみ

 将棋の羽生さんが少し前に見たテレビ番組で同じ趣旨のことを言ってました。20代、彼は前人未到の7冠を達成する。しかし歳とともに閃きはどうしても衰える。タイトルは1つ減り2つ減り、1つになってしまいます。だんだん思い切った手を打てなくなってきた自分に気づく。だから敢えて定跡にとらわれない手に勇気を持ってチャレンジしていると語っていました。そして今はまた王位・王座・王将の3冠まで戻しています。
 将棋に関心のない方のために言えば、羽生善治という人は、36歳という年齢にしてすでに成し遂げた実績からだけみてもおそらく将棋史上最高の天才であることは疑いようがありません。
 定跡は長い経験に裏付けられたものだから、正解である確率が高いけれど、どんな局面でも常に100%正しいわけでもない。もしそうならすべて定跡どおり打てばよいわけで、棋士が存在する必要がないし、コンピューターの方が強いことになりますが、諸説あるもののコンピューターが将棋のトッププロに勝てる日はおそらく当分やってこないと思われます。(ちなみにチェスでは世界チャンピオンとコンピューターはすでにほぼ互角です)。
 定跡など、およそプロの棋士ならば誰もが知っている既知の差し手でもあります。トップレベルの棋士の対戦では、定石を覆すような手をいくつ打てるかが勝負の分かれ目であるはずです。そういうリスクを負うには勇気が必要です。それは今日よりも強いはずの「明日の自分」をどのくらい信頼できるかという話なんだろうと思います。

「また会う日まで 上」  ジョン・アーヴィング著  小川 高義訳

私がいまさら言うまでもないことは重々承知の上だが、アーヴィングの作品は、現代作家の中では圧倒的に面白い。この作品に対してもその評価はいささかも揺るがない。

また会う日まで 上
 アーヴィングの世界は、(少なくとも私には・良くも悪くも)そこに生きているのが真っ当だと信じられる世界なのだと今回も再認識した。もう少し平たく言うなら、そこにいたとして自殺したくなるような世界ではない、と言ってもいい(つまり魅力的な人物が闊歩する愛すべき世界ということだ)。時に真っ当とも言えない人物設定や強引なストーリー展開はむしろ大きな魅力である。
 世界で日々起こる出来事のどこを眺めても、大まかに言って人間という生き物が「ろくでもない」ということは、認めがたくも認めないわけにいかないだろう。「また会う日まで」で描かれる出来事も登場人物もまた「ろくでもない」ことに変わりはないが、この小説を読んで自殺をしたくなるとか、逆ギレして世界を滅亡させたいとか思うことはなかろう。この小説世界は、リアリティを失わず読者が生きて在ることを否定せずにすむぎりぎりの線(その線は意外と細いという気がしている)に絶妙のバランスでとどまっている。「この世界に生まれたことはそう悪い事じゃない。何のかんの言ってもそれは奇跡に違いないのだから」そんな風に思えなくもない世界が展開する。それで十分心地がいい。
 それにしても、アーヴィングの創造する作品の量と言い、質と言い、こんな小説が1つ書けたら「もう死んじゃってもいい。思い残すことはない」そんな気にさえなる。量はリアリティを支えるという意味で重要だが、分厚な作品を飽きさせずに読ませる力量は凡百の作家には真似できようもない。「20世紀のディケンズ」という帯の紹介が正当かどうか私にはわからないが、そういう長編小説をすでに10ほども書いているアーヴィングを「偉大な作家」と呼ぶことに私個人としては何のためらいもない。
 この小説はまた飛びきり長いので、やっと(上)を読み終えたばかりだが、他のアーヴィング作品同様、物語の中にどっぷりはまりこんだ私は、すでにその住人の1人であることを疑わない。主人公ジャック・バーンズを取り巻く世界のどの登場人物も出来事もちょっとやそっとでは忘れられない記憶の一部と化している。いつもと同じように、(下)を読むのが待ち遠しい(もちろん今夜から読み始めるのになんの不都合もない)。
 この小説のノリからは、良い意味での軽快さ・風俗性ゆえに庄司薫の小説4連作を想起させられ、懐かしくもあった。村上春樹への影響(もしくは共通点)は数え上げたらキリがない。また、1980年代後半、村上龍がセックスを題材に描きながら、「良質な」ユーモアと清潔なアトモスフィアを持つ魅力的な作品をいくつか発表したが、それらと共通する思考が感じられて面白かった。人間をとらえるのにセックスを(アーヴィングの場合にはさらに「死」を)モチーフの1つとして重視する姿勢は共通だが、今に至るまでアーヴィングの扱いは終始抑制が利いていて、そこにもリアリティと心地よさを感じる。村上龍の場合は、その後ちょっと「行き過ぎた」気がしている。
 ジャックが生まれたのは1965年、幼馴染で義姉(?)かつ最高の「アドバイザー」エマはジャックより6歳年上という設定だ。アーヴィングの小説を最も楽しみにしている読者層と同年代ではなかろうか。
 (上)では1992年ごろまでを描いている。日本ほどの急上昇・急降下ではないにしても、世界中が右肩上がりの未来にまだ希望を持っていた最後の時代かもしれない。地球温暖化、食糧危機、枯渇する資源。発展し続ける世界というイメージを抱き続けている人は今やよほどの楽観主義者だろう。したがって、ジャックの人生も下巻ではそううまくはいかないはずだ(実を言うとこの書評を書いている間に(下)の最初の章を読んでしまったことを白状しなくてはならない。「おー」)。
 いずれにしても、まだ下巻があるということがこれほど楽しみな作品はそう多くない。
(初出 BK-1 2008/05/28)

「また会う日まで 下」 ジョン・アーヴィング著 小川 高義訳

事実という「曖昧な記憶」によってこの世界が形作られている以上、唯一絶対の真実などはない。自分の物語を「信じられる」ようになれば、すなわちそれが真実となる。

また会う日まで 下
 上巻の後半でもすでに母・アリスの影響は薄くなって、物語の中心はジャック自身へと移っていたが、下巻ではアリスと入れ替わるように、父・ウィリアムの影が次第に濃くなってゆく。
 断片的に語られるアリスの話と4歳の幼児だったジャックの曖昧な記憶によってしか登場しないウィリアムは、登場人物というより背景もしくは幽霊にすぎなかったといってもいい。からだじゅうに音符の刺青を施した、信仰に篤い教会オルガニスト(これまたなんという思いもよらない設定だろう!)。父はジャックを捨てたのか? 時が経ち、友人や家族も去りゆき、記憶もさらに不確かさを増してゆく。再び父に会えないままでは、ジャックが真実を見出すすべはない。
 この世界は実は「曖昧な記憶」によって形作られている――それがこの作品のテーマの1つでもある。下巻でジャックは「時系列で過去を語る」という治療を、精神科医のもとで受けることになる。時系列で語る過去がすべて事実かどうか、そもそもただ1つの「事実」なんてものがあるのかどうかさえ疑わしい。というか誰にも、何が事実かなど「今となっては」わかりはしない。ただし、わからないにしても、それが自分にとっての事実――というより「真実」といったほうがいいかもしれないが――だと納得するためには確かに有効な方法だと思える。物語を読む、という行為もそのことと似ているかもしれない。ひょっとしたら物語を書くということも。
 結局のところ、人は誰も迷いながらも、自分の来し方に折り合いをつけ、行く末を生きるしかないのだ。この世界が、事実と呼ばれる「曖昧な記憶」によって形作られているなら、真実は唯一つではない。どんな真実もありうるだろう。しかし、「自分の物語」を事実として受け入れ、真実だと信じることができるなら、すべてが真実にもなりうる。
 父の愛情を信じきることができなかったジャックは(ひょっとしたらアーヴィングも)、アカデミー賞をもらうほどの成功を成し遂げ、富と名声を手に入れても、どこかふらふらと不安にさいなまれ続けざるをえない。
 この物語のラストで、ついにジャックは、ジャックにとっての「真実」を見出すに至る。自伝的な要素がいくつも盛り込まれたこの物語を書き上げたアーヴィング自身も、彼にとっての「真実」を発見し、腑に落ちたということのようだ(詳しくはあとがきを参照されたい)。

 小説の面白さという点では、上巻のほうがより面白かった。
 上巻のエマとオーストラー夫人、さらにはセントヒルダ校のあまた登場する先生たち。ひと癖ある同級生たち。山ほど登場しては意外と簡単に消えてゆく――実際のところわれわれ人間のだれもが同じことなのだが――これら愛すべき人々が、この小説でも最大の魅力の1つであることに異論はなかろう。人物像はどれも際立っていて容易には忘れられない人物ばかりである。どの1人を描くにも手抜きはない。下巻で新たに登場する医者たちも魅力的だが、教師や刺青師たちに比べると、描写が足りていないきらいがあると言ったら言い過ぎだろうか。
 もう1つだけ付け加えるなら、アリスとウィリアムのそれぞれの虚実を逆転させる話の展開は−−それもアーヴィングの小説の魅力だと十分認めたうえで――今回は、それにしてもやや強引過ぎる気がした。一貫性を保つためと感じてしまう説明的な文章がいくつか気になり、アーヴィングのこれまた大きな魅力である寓話性が、下巻では希薄に感じられることがないではなかった。<今>に近い時間を扱っているせいもあるかもしれない。自伝的な要素が多く盛り込まれたせいもあると思う。しかしまあ、どれもこれも「上巻に比べると」であって、この本を読む時間は至福の時間だった。賛否両論喧しかったという作品の長さは、私にはむしろ喜びでさえあった。感謝。
 アーヴィングも今年66歳。本作に6年半を要したそうだ。次の作品が読める幸せが訪れますように。
(初出 BK-1 2008/07/01)

「逆シミュレーション音楽」をめぐって(1)

 その1「What is Reverse-Simulation Music?」

 三輪眞弘氏のアルス・エレクトロニカ賞グランプリ受賞記念講演「The Long and Windingroad」(と確かおっしゃっていました)を聞く機会があり(http://d.hatena.ne.jp/Uu-rakuen/20070625/p1)、たいへん興味をそそられた。
 講演で三輪さんも言っていたけれど、「逆シミュレーション音楽」が生まれざるを得なかった現代という状況の困難さは「音楽」に限らず「芸術」全般に共通するにちがいない。
 表現と方法をめぐる表現者の悩みは(過去よりは少し深刻であるにせよ)現代人に固有というわけではない。遅れてきたものの苦悩であり、そのために現在「是」とされる価値観を否定する(もしくは再構築する)というのは繰り返される常套手段であり、必然である。そこに驚きはあまりない。私が面白いと思ったのは、そのために三輪さんが考えた「ありえたかもしれない音楽」という発想であり、パフォーマンスそのものである。

 ここからは「逆シミュレーション音楽」というものが発想された経緯を聞いて私の感じたことである。
 今地球で起こっていることに考えをめぐらせ、特にこの100年間のさまざまな「急速な変化」−−人口増、科学の進歩、環境悪化、過剰な利便性などなど−−を見ていくなら、テクノロジーや一部の先進国(もちろん日本も入る)の過剰な豊かさばかりでなく、音楽や文学のような表現領域においても、情報は劣化しつつあるように思えることがあるし、限界域に近づいてきているような気がしてならない。
 もっと踏み込んで言えば、そうした人類の発展をこれから先も引き続き「是として続けていっていいのか(もうそろそろおわりにすべきじゃないか)」という疑義を投げかけてさえいるようにも思えてならない。
 人間の可能性は無限だとか、努力すればできないことはないとかよく言うけれど、本当にそうだろうか? というギモンでもある。

逆シミュレーション音楽

 「逆シミュレーション音楽」がどんなものなのか知らない人のほうが圧倒的に多いと思う。
 無茶を承知で、先日聞いた講演やWEBの資料を参考に私なりに噛み砕いてみるなら、
「ある規則に則って、n個の数字の配列をコンピュータによって生成させる(シミュレーションする)。それぞれの数字には特定の音と動き(たとえば肩をたたくとか鈴を鳴らすといった人間の動作によって生じる音)が割り当てられている。コンピュータによってシミュレートされたとおりに人間が音(と動き)によって構築するパフォーマンス全体」
 といったことになるだろうか。コンピュータが生成した音楽を人間が演奏する(逆シミュレーション)というのが名前の由来である。
 こうした形式上の定義とは別に、三輪さんは「ありえたかもしれないと夢想することから生まれた音楽」というような言い方もされていて、そのためにはあったかもしれない民族や文化、言語、慣習などを具体的にイメージする必要があるとも言っていた。これはある意味「神の仕事」と言ってもいい。
 正確な定義は、IAMASの三輪先生のサイトで確認していただきたい。http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/rsm.html
 ところで、この音楽を演奏する集団は「方法マシン」と呼ばれている。メンバーの女性の1人が講演で報告されたところによると、演奏技術の熟練(動作のスピードと正確さの熟練)に日々取り組んでいるらしい。「次の公演では最速を達成できると思います」と言っていた。
 三輪さんの話から、逆シミュレーション音楽の重要なポイントを拾い上げるなら、次の2つになるだろうか。

■身体を使い、熟練を必要とする音楽であること
 三輪さんは、楽器に手馴れて手元を見ないでも弾けるのと同じように、練習を重ね、動きがより身体化されることで、(おそらくは)表現も深まりよりすばらしいパフォーマンスを見せる、というプロとしての熟練という過程を重要と考えている、というような発言をされていた。
 また同じ規則に則って動きを繰り返す人形(またりさま人形)も作製されている。
■即興ではなく規則に則った音楽であること
 もう1つ重要なことは、単純なルールによって繰り返される動作のループで構成されている(ように見える)ので、楽譜も不要で暗譜の必要もない。しかし即興ではない。
 「ルールとは神の代わりでもある。ルールがない限り人間に自由はないと思う」とも言っていた。制限がない−−つまりなんでもあり(できる)ということは何もない(しない)と同義ともとらえられるわけで、人間の行為は意味を失いかねないとも言える。それはすなわち「自由がない」ということに等しい、そういう意味だと私は思った。ケージに対する批評的な立場の表明でもあるのかもしれない。
 たとえば、芥川賞作家・中村文則さんも、「小説は言葉でしか表現できない」と言い、「制限があるから自由があると思う」と今朝(07/7/15)の朝日新聞で語っていた。

 私自身は、制限があるから自由を欲するとは言えると思うし、制限があるから工夫をするとも思う。ルールがあるから人間なのだとも思う。規則に則っていることは、自然に放り出された動物ではなく、社会を築きそこに生きる人間を肯定する意味が含まれているという気がする。
 だが、もっと大きなスケールで言えば制限のないものなど基本的には何一つない。宇宙は現在膨張しつつあり、無限のように思うが、その宇宙でさえビッグバンという始まりがあった。始まりとはつまり制限に他ならないだろう。時間も同じだ。
 したがって、制限があるから自由があるのではなくて、どちらにしても制限はあり、人間はどのみち自由ではないがどの制限を選ぶかの自由を人間は欲する。制限を選べるということは、そこで人間は自由だといえるのではないか、と言うほうが私にはぴったりくる。

 また、「偶然が入り込まないから、同じことがコンピュータでもできるが、コンピュータが演奏した場合と人間が演奏する場合ではアウトプットされるものが違う」はずだというようなことも言っていた。それは確かにその通りで、人間がやることで偶然が入り込む。そこに人間が存在する意味があるとすれば、その点でも逆シミュレーションと言えるわけで面白い。
 ぜひ実演を聞いてみたいが、次は三宅島らしい。映像でチラッと見た演奏風景(「逆シミュレーション音楽」理論に基づく最初の作品「またりさま」)は、民俗音楽調で、動作はまるで何かの宗教儀式を髣髴とさせた。最新の音楽理論でコンピュータが描いた音楽を人間が奏でたら、古い民俗音楽のように響き、見えるということが私にはとても面白かった。。
※この文章をアップするにあたり、「方法マシン」のHP(http://method-machine.com/)を見てみたら、昨日(07/7/14)が公演日でした。台風大丈夫だったでしょうか。台風到来前で運が良かったといえば良かったんでしょうが・・・
(初出 Hatena Diary“悠々楽園” 2007/7/16)

「逆シミュレーション音楽」をめぐって(2)

 その2 西洋音楽とロマン派

 三輪さんにとって自明だった次の2つの前提を「疑ってみる」ことから「逆シミュレーション音楽」が発想されたという。
(1)西洋音楽が音楽のすべてである
(2)ロマン派の音楽概念が西洋音楽のすべてである
 クラシック音楽に興味があって、西洋音楽史を少し知っていれば、確かにこの2つの前提が自明のことだと言われても違和感はない。

西洋音楽の歴史

 現在も演奏される西洋音楽として最も古いのは、6〜8世紀ごろにかけて諸地方の教会で奏されていた聖歌を収集し編纂したとされるグレゴリオ聖歌ということになるらしい。そこに新たな音楽が生み出され付け加えられるのは9世紀以降であり、われわれ現代人にも親しい最も古いクラシック音楽ということになると、「バッハ」だと言っても、そうまちがいではないだろう。バッハは1685年生まれだから、現代人にとっての西洋音楽の始まりはたかだか300年前にすぎない。

ロマン派

 どこ(誰)からがロマン派か、については当然のことながら諸説あるが、ロマン派の作曲家の最初の1人としてシューベルトをあげることに反対する人は少ないだろう。シューベルトが生まれたのは1797年である。1828年、わずか31歳でこの世を去る。
 ロマン派を代表し、調性音楽から無調の音楽へと橋渡しをしたヴァーグナーが没したのは1983年だ。後期ロマン派の1人ブラームスが死んだのが1897年。リヒャルト・シュトラウスは長生きした(1949年没)けれど、最後のロマン派の1人、ヴァーグナー党のブルックナーは1896年に亡くなり、ワルツ王・ヨハン・シュトラウス二世は1899年に没している。そして、おそらくロマン派の系譜に連なる最後の大作曲家は、現代人に大変人気のある二人−−マーラー(1860-1911)とラフマニノフ(1873-1943)だろう。
 したがって、ロマン派と呼ばれる作曲家が活躍した時期は、ほぼ1800年代のわずか100年間にすぎない。
 それにしても確かに、ロマン派はサッカーでいえば一時のレアル・マドリーもしくはブラジル代表セレソン。野球ならV9巨人もしくは(昨年までの)ヤンキースといったところか。そうそうたるメンバーだ。上述以外日本でポピュラーな作曲家だけあげても、
 ショパン    (1810-1849)
 メンデルスゾーン(1809-1847)
 シューマン   (1810-1856)
 リスト     (1811-1886)
 ベルリオーズ  (1803-1869)
 ヴェルディ   (1813-1901)
などがいる。さらに、ドヴォルジャークチャイコフスキーも広い意味ではロマン派の音楽家に入るだろう。ショパンなしでは多くのピアニストは生きてゆけないし、明日からヴェルディが演奏禁止などということになれば歌手たちの半分は職を失うかもしれない。

なぜ「ロマン派」だけなのか?

 私は三輪さんの2つ目の前提がなぜ「ロマン派」だけに限定されるのかと話を聞きながら不思議に思った。今現在世界の演奏会で奏される音楽の中で「ロマン派が圧倒的1位を占めている」という点に異論はないが、バッハはともかく、モーツァルトベートーヴェンだって、たった二人でも相当にガンバッテいるわけで、彼ら「古典派」も含めるべきではないかと思っていた。
 家に戻って、わが敬愛し、尊敬する吉田秀和さんの「LP300選」を読み返してみたら、一括りににして語るには「あまりにも大きな深淵がある」としながらも、調性の原理によって書かれた和声(harmony)的な音楽の時代として、18・19世紀を古典・ロマン派の時代と一括し、20世紀の「調性から開放された」音楽と分けるのはむしろ便利でさえある、というような記述があった。三輪さんの前提もそういう意味なのかもしれない。
 また、バッハやモーツァルトベートーヴェンの曲でも現代人に人気のある曲、フレーズの多くが「ロマン派的」であるという指摘ととらえることもできる。

人は「ロマン派的」音楽を好む

 「ロマン派的」とは何か?といえば、それはスパイスとしての不協和音も含めて、和声すなわち耳に心地よいハーモニ−−時代によって好みが変わるようだが−−を最上とする嗜好ではないか。その意味で、現代のわれわれが好むクラシック以外の音楽、つまりジャズやポップスもほとんどは同じ理論の上に立っているし、クラシックよりずっと単純で無自覚で音楽的にはおそらくなんら新しいものを付け加えない。クラシック音楽の最先端こそ、音楽表現の最先端でもあるのである。三輪さんもまさにその中におられるわけだ。
 こうした類型に組み入れられない音楽が現代にあるとすれば、確かにそれは、西洋の文化とは別に−−音楽的に言うなら対位法的にというべきか−−発展してきた西洋以外の民族固有の音楽ということになるのかもしれない。
 いわゆる西洋クラシック音楽は世界中の主要都市で頻繁に演奏会が行われ、CDやDVDは世にあふれ、CMやTV・映画などあらゆるメディアを通して耳にしない日はない。この数百年に限って言えば、世界の中心は欧米であり、今ならG8(+Bricsか)。まさしく西欧的な資本主義的消費競争社会こそが世界そのもののように錯覚する。日本は地理的にも民族的にも西洋ではないが、それ以外の点ではまさに西洋の一員、それも主要な一員である。
 したがって私たち日本人にとっては西洋的な世界以外はなかなか見えにくいし感じにくい状況にある。よくよく考えれば当たり前の話だが、今でもアラブやアフリカではわれわれが聴いたことのない音楽が日々奏されているに違いない。そこで奏されている音楽には、われわれにとっては未知の音楽=ありえたかもしれない音楽が、ありえているかもしれない。ひょっとしたら世界の民俗音楽を収集し続けた小泉文夫さんの考えていたところもそういうことと無縁ではないのだろう。読んではいないが小泉さんの著作に「空想音楽大学」という本がある。ぜひ読んでみたいと思う。
小泉文夫著作選集(4) 空想音楽大学
 ただ、私自身は、所詮同じ人間であってみれば、その発展のしかたにもさほど大きな違いはないと基本的には考える。
 仮に不快な音楽を好む民族があらわれたとしても、それが長続きするとは思えないし、不快さや緊張をもたらすものが好まれるのは、平和や快適さにあきあきした時代にほかならない。表現においては、快適さをより効果的に導くための手段の1つと考えるのが自然だと思う。
 つまり、心地よくない音楽が好まれることがあるとしても、ほかのことと同じように人間のぜいたくで過剰消費的な行動や気分の1つにすぎない気がする。ただ、そういう好みが混ざって複雑化することは、一時的というだけでなく、そこで生まれた多様性が発展や進化につながるという側面があることも事実である。少なくとも、ここまで人類は発展してきたように見える−−今後はともかく。
 ところで、もし本当に、人間の自然な好みに基づく最上の音楽たちが19世紀に達成されてしまったとするなら、音楽はすでに衰退に向かっているということになってしまいかねない。それは音楽にとって経験したことのない危機を意味する。そこに音楽家の(三輪さんの)悩みもあるし、それを確認し、検証し、新たな可能性を探ることで「人間が何であるのか」を探求することこそ音楽家の本当の仕事でもある(と私は勝手に思うのです)。
 走り始めてしまった以上、新しい音楽を求める人間の旅は、人間が存在する限り終わららないとも私は思う(それは多分音楽に限った話ではない)。この世には、これまでも、これからも「音」がある。たとえ人類が滅びても、宇宙が終わらない限りは。
 ちなみに前出の「LP300選」で吉田秀和さんが、最初に選んだのは「宇宙の音楽」である。レコード(CD)はもちろんない。
(初出 Hatena Diary“悠々楽園” 2007/7/17)

「14歳からの仕事道」 玄田有史著

14歳からの仕事道 (よりみちパン!セ)
 これまで玄田さんの発言を読んできたものにとって、この本の中に新しい発見はそれほど多くないし、「14歳の」とあるにしては多くの14歳にとって、理解するのはなかなか難しい内容だと思う。漢字にルビが振ってある以外、中学生一般向けの内容とは言いがたい。
 でも、それが「14歳」でなく、アルバイトを1度でもしたことがある高校生や大学生、社会に出て仕事や生き方に悩む20代、30代の社会人なら、内容はよくよく理解できるし、少なからず勇気を与えてくれる本だと思う。そういう人にこそ薦めたい本だ。
 玄田さんの本の中では、一番短く読みやすいが、メッセージは明確に伝わってくる。
 「ニート」という問題が日本でも急速に進行しつつあり、将来的に日本の存立を左右しかねない重要な問題であることを提起し、研究者の間だけでなく、社会全体のテーマとして広く知らしめた人の1人が玄田さんだ。
 ニートの問題もそうだし、雇用者と被雇用者のミスマッチの問題なども、このところ取りざたされているけれど、自分の経験からも、小学校や中学校で、早い年齢から「働くこと」や「仕事」について、もっともっと多くの情報を提供し、相談できるような環境をつくるべきだと、私はかねがね思っている。そんな思いも手伝って、来年中学生になる姪にプレゼントしようと思ってこの本を購入したのだった。
 だからその点ではちょっとあてがはずれた。
 玄田さんの発言にはこの数年注目してきた。正直に言うと、本や発言を読んで、まず、私が惹かれたのは、その内容以上に、文章から伝わってくる玄田さんの人柄である。東大を出てハーバードやオックスフォードにも客員、東大の助教授を務められている気鋭の労働経済学者なのに、その発言は、ある意味自信なさげだったり、謙虚すぎるくらい謙虚だったりする。自分の意見を一方的に押し付けようとはしない。この本にも書いているが、「わからない」ことは「わからない」と言ってしまう。「だから、あなたはこうしなさい」などとは言わない。いや、言えないのだ。人間は1人1人価値観も目標も、なりたい自分も違うから。その限界をわきまえた上での発言である。こういう立場で発言する勇気のある学者は少ないと思う。
 玄田さんのメッセージとは、まず「仕事」は、もともと楽なものじゃない。だからみんな悩んだり苦しんだりするけれど、それは君だけじゃない、ということだ。お金とか社会的成功とか、既存の価値観に振り回されないで、必ずある「自分にあった仕事」を見つければいいんじゃないか−−だから、あまり悩みすぎないこと。それこそが玄田さん言うところの「ちゃんといいかげん」ということだ−−と、玄田さんは、玄田さんらしい熱さで語っている。
 それがどんな仕事であれ−−アルバイトだろうが派遣社員だろうが関係ない−−仕事をすることは生きることと同義なのだ。つまるところ、仕事の問題とは哲学の問題なのである。だから仕事は、人生と同じように苦しくつらいことも多い。だけど、それがまさに生きるということであり、生きて、人とふれあい、ささやかでも人の役に立つことは、喜びももたらしてくれる。誰だって基本的には楽しく人生を過ごしたい。だったら仕事を楽しめるような心の持ち方、仕事の選び方をしようよ、自分らしい生き方(仕事)を選ぶなら、それはそんなに難しいことじゃない、チャンスは必ずあると、玄田さんは言っているんだと思う。
 ただ、というか、だからというべきか、ここに書いてあることはどれも簡単なようで、実際にやるのは、それほど簡単ではない。「自分の弱さと向かい合う」と言われても、「はい、そうですね」と克服すべく行動をはじめられるかといえば、「そんなことできるなら最初からやってるさ」ということになりかねない。
 この本に書いてある重要なことは、そういう意味では当たり前のことばかりなのである。しかし、何が当たり前なのか、を見極めることは本当は難しい。この本を読むことは、固定観念や時代的な背景にとらわれないで、人が仕事をする(生きる)うえで、当たり前といえば当たり前のことを、いかに当たり前か、読者一人一人が検証していくことでもあるように思う。
(初出 Hatena Diary“悠々楽園” 2006/7/3)

「オシムの言葉」 木村 元彦著

オシムの魅力を余すところなく伝え、ユーゴの戦火と現代をつなぐ糸を鮮やかに浮き彫りにしたすばらしいノンフィクション。

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える
 「オシムの言葉」というタイトルから、オシム語録的なものを−−ジェフのHPにあったような−−をイメージしていたが、全然違った。
 この本は著者の木村元彦さんの、旧ユーゴスラビアに対する強い愛着と関心(なぜその地域に関心を持ち始めたのかは書かれていないのでわからない)の上に立ち、周到な計画と綿密な調査、精力的な取材に基づいて書かれた素晴らしいノンフィクションであった。
 旧ユーゴの崩壊とボスニア戦争の記憶は、すでにわれわれの記憶の中でその影を薄めつつあるけれど、元々同じ国の民であったいくつもの民族がモーレツな殺し合いを始めたという事例は近代ではあまり例を見ない凄惨な事例だったのではないか。
 ソ連が崩壊した今、最も複雑な多民族国家は中国であろう。世界中で「フリー・チベット!」を叫び、デモ行進が行われ、警官と衝突する事態が起こっているが、人々をそういう行動に至らしめるメンタリティや国際認識は、民族自立意識の高まりという時代の流れが作り出したなどと歴史家たちは言うのかもしれないが、渦中にあってその時代を生き抜いてきた人々にとってはそんな簡単な話であるはずもない。
 オシムと彼の家族は、まさにそうした渦中にあって翻弄されたのだった。オシムという監督の複雑なメンタリティを理解するのは簡単ではなかったが、この本を読んで以前よりは少しわかったような気がする。彼自身はおそらくはそれほど複雑な人間ではない。ただ彼の生きた環境の複雑さに対応するために複雑にならざるを得なかったというだけだろう。わかりにくいといえばわかりにくい――ユーモアとアイロニーと警句に満ち、そしてもちろん深い洞察を感じさせる――言葉が、オシムの意図する通りオシムという人間を煙に巻いてきた。しかし、彼はなぜだか憎めない愛すべき人間として私たちには感じられたし、彼の発する言葉は、多くの場合強い説得力をもって耳に届いたのだった。そう、一言でいえば魅力的な人物。
 日本代表監督になって、試合後のコメントは少なくなり、テレビを見ている私たちは――とりわけ試合に負けた時には――オシムの姿を正視できないほど会見には緊迫感が漂っていた。「選手たちはみんな一生けん命やっているではないか。あなたはちゃんと見ていたのか? 何を言いたいのだ?」。勝ち負けだけでしか評価しない世間、もしくはメディアという存在の理不尽さに対する恐れと怒り。ユーゴ時代の記憶とないまぜとなって押し寄せたプレッシャーは大変なものだったろう。しかし、オシムはチャレンジしたのだ。結果は本当に残念だったけど。
 私はこの本を読んで、オシムが日本に来てくれて、日本のサッカーを指導してくれたことの意味の大きさを今一度噛みしめ、「本当によく来てくれたなあ」と感謝の意を強くしたのだった。事はサッカーだけにとどまらない。日本や日本人に足りないものを示唆し、日本の良さを引き出し鼓舞してくれたという意味でもその影響は大きかった。
 紹介したい言葉は数々あってきりがないが、最後に一つだけ私が共感した言葉をあげておきたい。

「作り上げることより崩すのは簡単なんです。家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬」。

 オシムの言う「家を建てる」とは「攻撃的ないいサッカーをする」という意味でもある。しかし、言うまでもなくサッカーに限った話ではない。自然だって倫理だって人間関係だって仕事だって、作り上げるのは難しいが壊すのは簡単だ。しかし、人しばしば、それこそ石ころでも蹴飛ばすように、考えもなくたたき壊してしまう。
 ところで、私がオシムが好きなのは−−オシムのサッカーが好きだったのはと言い換えてもいい−−、実はこの言葉に続いて次のようなことを言ってくれるからなのである。

「作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?」
(初出 BK-1 2008/07/14)

「グレート・ギャツビー」 スコット・フィッツジェラルド著 村上 春樹訳

村上春樹渾身の訳業がさらにくっきりと浮かび上がらせたフィッツジェラルドの天才。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
 たったの29歳でこの小説を書いたというのは信じがたい。そして1940年、たった44歳で死んでしまった。まさに波乱の人生であり、フィッツジェラルドは早足で時代を駆け抜けた寵児だった。
 翻訳でしか読んでいないので文章家としての彼の力は私には評価のしようがないが、物語の設定、推理小説仕立ての構成、人物の造形、魅力的な会話、背景描写の繊細さと時折挟まる正鵠を得たアフォリズム。彼は人間が何たるか、宇宙の真理のなんたるかを若干29歳ですでに深く理解していた。誤解を恐れずに言うなら、人生とは、この世とは、はかない夢に過ぎない、そういうことだ。
 この小説の展開する時代と場所はフィッツジェラルドの実生活を深く投影している。現実の枠組みを使って虚構の世界を築いたのはもちろん作者たるフィッツジェラルドだが、物語はさらにジェームズ・ギャッツなる作中人物がジェイ・ギャツビーという虚構を創りだしたという入れ子の構造になっている。ギャツビーを創りだしたのは、その時代であり場所でもある。「光陰矢のごとし」「夏草や兵どもが夢の跡」。遥か昔から少なからぬ人間が悟っていた真理。ギャッツビーにまつわるすべては「夢」、しかし生きることは「夢」を紡ぎ続けることにほかならないのかもしれない。はかないものは美しい。美しいからこそはかないと知っていながら人はそれに手を伸ばそうとする・・・そんなことを考える人間は数知れないが、それにきちんと形を与えて表現できる人間は極めて数少ない。フィッツジェラルドはそれを表現する能力を備えていた。まさに天才のなせる技としか言いようがない。
 訳者の村上春樹によれば−−あとがきを読むと、もし自分にとって重要な本を3つあげろと言われたら、「ギャツビー」のほかに「カラマーゾフの兄弟」とチャンドラーの「ロング・グッバイ」を挙げるが、1冊に絞れと言われれば「迷うことなくギャツビー」だそうだ−−残念ながら、この小説が彼の真骨頂であり、「ギャッツビー」で舞い降りた天啓は以後の彼の作品に再び訪れることはなかったという。当たり前だと思う。こういう小説をわずかに44年の生涯でいくつも創作することなどおそらくは誰にも出来ない。そういう小説だと思う。
 私が「ギャツビー」を最後まで通して読むのはおそらく2度目だ。前回読んだのは遠い昔で、今回は村上訳(彼のこの小説への思い入れを知っていればこそ)だから読んだ。かなり熟練の英文読者でないと原文で読むのは難しいようだが、翻訳で読んでも――少なくとも以前読んだ翻訳では――わかりやすい文章ではない。
 この小説を翻訳することは当然ながら村上にとっても特別なことだった。他の翻訳のような良く言えば黒衣に徹するような文章、悪く言えば色気の薄い文章ではなく、小説家としての経験を縦横無尽に駆使して「正確なだけ」ではなく、できる限り作家の意図を伝えることに腐心したと後書きにもある。
 いわゆる専門の翻訳家に比べて村上訳では英語のままカタカナに置き換えることが多い。そういう事例があまりにも多すぎるとなると、「翻訳」という仕事の存在理由が損なわれかねない。この小説でも、友人に「old sport」と呼びかけるギャツビーの口癖をそのまま「オールド・スポート」と表記していて、これが口癖だから頻繁に出てくる。最初はニュアンスが捕まえ切れていないので違和感があるのだが、途中からはこの親密さのニュアンスは確かに日本語には置き換えようがないかもしれないと思う。というような点も含めてあとがきで語られた村上の翻訳への姿勢も一聴に値する。詳細に読み比べたわけではないが、この訳は村上春樹の意図に見合った十分な成果を上げているのではないだろうか。
 この小説が確固とした魅力なり力なりを一読して私の中に残したのは間違いのないところだが、私にとって「ギャツビー」のわかりやすい魅力の大部分を占めていたのは、ロバート・レッドフォードミア・ファローのキャスティングによる邦題「華麗なるギャッツビー」のかっこよさ、美しさにほかならなかった気がする。あるいは最初に読むきっかけもこの映画だったのではなかったろうか。映画のイメージを払しょくすることはおそらくもう不可能だが、今回村上訳の「ギャツビー」を読み終えて――小説のほうがオリジナルなので本来おかしな言い方だが――小説自体が喚起するイメージ力によってこの物語の輪郭がより豊かで鮮やかになったという実感がある。
(初出 BK-1 2008/12/06)

「14歳からの哲学」 池田 晶子著

14歳でこの本を手に取るチャンスを得たあなたは幸せだ

14歳からの哲学 考えるための教科書
 もう5年も前に出た本だし、著者の早すぎる死とも相まって大きな話題にもなったので、この本についてはすでに多くの書評や感想が出尽くしている感がある。好意的な意見があり、批判的な意見があり、この本を手に取ろうかどうしようか迷っているあなたはその中から自分が信じられる書評を参考にすればよいだろう。いろいろな意見がありすぎて、逆に迷ってしまうかもしれない。書評に限らず、真贋を見抜くというのはなかなかに難しい(本書で池田さんは「本物を見抜ける人間になるためには、自分が本物にならなくてはならない」と書いています)。

 私はあなたにただこう言いたい。もしあなたが14歳なら、こういう本を若いうちに手に取る機会があり、この本に書いてあるようなやり方で考えることに興味を持てたなら、人生はきっと豊かで面白いものになるだろうと(それが世間的な幸せと一致するかどうかはわからないが)。

 この本に対する読者の批評として、「まだ物事をよくわかっていない子どもを、恣意的に誘導しようとしている」「14歳に読ませるならもう少し教育的な内容にすべきだ」といった感想が割と多いのはうなずける。
 真実を知るということは絶対的には素晴らしいことであるはずだけれど、考えようによっては実は恐ろしいことでもある。真実はしばしば厳しく美しい。真実の峻厳さはそうでないことを寄せ付けない。
 上述のように感じてしまうとすれば、「大人は正しいが子供はしばしば間違いを起こすものだ」とか「14歳に真実を正しく理解することができるかどうか疑わしい(大人なら正しく理解できるけど)」といった意識があるからだろう。
 しかし、実はそういう考えは必ずしも正しくない。年長の者が敬われるべきだという考えの裏付けは、より多くの時間を生きてきたというその点についてだけはまぎれもない事実が――おそらくは――年長者ほどより多くの経験をし、考えを巡らせ知恵を獲得している“はず”だという不確かな根拠でしかない。しかし、実際には子供でもより多様な経験をしていたり、より深く物事について考えたりしている場合はもちろんある。昨今世の中をにぎわすろくでもないニュースの数々を持ち出すまでもなく、大人がみんなものごとの真理についてよく考えていて、正しく行動しているわけではない。
 著者は、本書で取り上げている問題の多くについて「ちゃんと考えもしていない大人の方が多い」としばしば指摘している。私自身もここに取り上げられたテーマのほとんどについて少なからず考えをめぐらせてきたつもりだが、哲学の大命題とは、いわば「当たり前のこと」が「本当に当たり前かどうか」考えることにほかならず、よく考えてみたら「当たり前でもない」ことばかりなのである。考え抜いたなどと胸を張って言うのは到底はばかられる。世界は謎だらけだということに気づき(あるいは著者の言うように気づきさえしないまま)、多くの人が考えることをやめていくのかもしれない。生きることは誰にとっても楽なことではないから理由はいくらだって用意できる。
 そんなわけだから、あなたがもし14歳なら、この本に関して大人の言うことはあまりあてにはならないと思った方がいい。
また、「独断的な物言いが鼻につく」といったまったくお角違いと思える意見もたまにあるが、この本くらいニュートラルな立場で書かれている本はあまりないと私は思う。断定的・独断的に見えるところは、論理的に疑いようのないことに限られている。

 今あなたがこの書評を読んでいるなら、この本を眼の前にして通り過ぎてしまうのがどれほどもったいないかということだけは伝えたいと思う。そして大人たちの言い分が正しいかどうか自分で確かめてみたらどうかと、14歳のあなたに言いたいと思います。
(初出 BK-1 2009/02/09)

「東京奇譚集」 村上春樹著

天才的職人の技に気軽に酔いしれる幸福

東京奇譚集
 この本を手に入れたのはずいぶん前のことだ(というわけでもう文庫になっちゃってるんですね)。最初の「偶然の恋人」を読み、期待通りの面白さに舌を巻き、次の「ハナレイ・ベイ」を十分に味わい、満ち足りた気持ちになり、たとえばディズニーランドで買ってもらったクッキーをいっぺんに食べるのがもったいなくて2枚食べたところでやめにして、明日また缶を開けて食べるのを楽しみにしている子供のごとく、「いっぺんに食べちゃう――いや読んでしまうのはもったいない。さあて、次はいつ読もうかな」と大事にしまっておいたのだが、あんまり大事にしすぎて、そのまま食べるのを――いや読むのを忘れてしまっていた。

 村上龍がどこかの雑誌か何かで、村上春樹のことを評して次のように語っていたと記憶している。たぶん親・龍(反・春樹)的な色合いの強い人たちによる座談会での発言だったと思う。
「春樹さんはうまいんだよね」。
 親・龍的な人たちの反・春樹的な心情は相当過激だった気がするが、このときも含めて村上龍本人が村上春樹の人や作品を悪く言ったりするのはほとんど聞いたことがない。その作風や取り上げる素材において共通するものの少ない二人だが、村上龍村上春樹をきちんと認めていると思う。

 今回、続く「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「日々移動する腎臓のかたちをした石」「品川猿」と読んだのだが、あまりの面白さ、見事さに感動し、さらに冒頭の2遍も再読した。
 小説を読む、あるいは物語に聞き入ることの原初的な面白さの典型のひとつが間違いなくここにある。当代随一の短編作家は村上春樹だと言ってしまいたくなる。しかも、その圧倒的な面白さにもかかわらず、単なるエンタテイメントに堕していない。書き下しの「品川猿」だけ、途中で突然“羊男”的“品川猿”が登場して、ナンセンスな物語となるけれども、他の作品は「奇譚」という表題にふさわしい不思議なエピソードをモチーフにしながらも、背景として選ばれた時空は現代のノーマルな日常である。といっても何もSFやナンセンスが悪いとか価値がないと言いたいわけではない。むしろそうした要素や表現方法は元来物語に不可欠なものである。ただそこに必然性がないと物語は薄っぺらで、言うなれば子供向けの駄菓子のようなものとなる(子供にとってはうれしいけれど)。
 誤解を恐れずに言えば、村上春樹はポーや芥川の正統を継ぐ短編作家でもあると改めて思った。再び誤解を恐れずに言うなら、(本人も言うように)村上春樹を天才というのはなんだかどこか憚られる。少なくとも短編に関して言うなら、むしろ職人的な――それも天才的な職人としての作家というのがふさわしいのではないか。村上龍の「春樹さんはうまいんだよね」という評価がこうした意味を含んでいるのかどうかはわからないが、当たらずとも遠からずであると私は思っている。
 吟味した素材を使って、手入れの行き届いた道具を用い、細心の注意と集中力を注いで作品を作り上げる。人々はそれを棚から取り出し、手にとって、矯めつ眇めつ眺めたり、時には使ってみたりする(職人の作った道具も今では美術館に収蔵される場合も少なくないが)。
 考えてみれば、もともと物語とはそんな愛着のある身の回り品のようなものだったのかもしれない。一通り楽しんだら大事にしまって眺めてるのも悪くないが、それが見事なものであればなおのこと、ときどき取り出して使ってみることの贅沢は至福の時間をもたらす。
(初出 BK-1 2008/12/29)

「アンネの日記 増補新訂版」 アンネ・フランク著  深町 真理子訳

過酷な運命と引き換えに残された人類の宝物。戦争の理不尽さを嘆くだけではもったいない。

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)
 アンネ・フランクという少女の、13歳から2年余りにわたる日記が貴重なのは、それがアンネとアンネの家族および彼女を取り巻く人々の死と引き換えにこの世に送り出されたものだからということは疑いようがない。
 確かに、その1点をもってしても、おおむね平和のうちに長い間暮らしているわれわれが耳を傾けるべき言葉がこの日記にはいくつも含まれている。

 というわけで私もまた、この、おそらくは世界一有名な日記を、「第二次大戦におけるユダヤ人への無差別的な迫害に対するけなげな少女のふるまいや感想」、あるいは「理不尽な運命への怒りや悲しみやはかない希望」といったものばかりが綴られているのだろうと漠然と考えながら読み始めたのだった。
 しかし全然違った。
 アンネという少女は、おしゃべり好きで、気が強くて、現代のわれわれの身近にもときどき見かけるようなオシャマで明るい女の子だった。彼女は「文章を書くことで生計を立てたい」と自分の将来をすでに明確に思い描いていた。利発で健康な普通の女の子だ。

 アンネの生まれた1929年は、イプセンの「人形の家」出版のちょうど50年後だが、当時でもまだ女性が自立するという考えはヨーロッパでも進歩的かつ少数派だったようだ。
 そんな中、家庭におさまり家事や子育てだけをするのではなく、家を出て人の役に立ちたいとアンネは強く願っていた。
 そして何より私の印象に強く残ったのは、彼女がものごとを「自分で考える」人間だということである。それがこの日記を、他にも数多く存在するであろう同時代の日記と一線を画し、60年以上を経た今も世界中の人々が共感をもって読み継いでいる最大の理由だと思う。

 また、普通の思春期の少女の心のうちをかなり正直に記しているという点も、記録として貴重だろう。心だけでなく身体の変化へのとまどいや興味についても赤裸々に――発表するつもりではなかったわけだから赤裸々も何もないわけだが――記している。アンネの性の成熟に対するとらえ方はとても前向きで、生きることの肯定と重なっている。彼女にとって女性として生きることは誇らしく美しいものだった。
 思春期の性にとまどう少年少女たちにとっても貴重な示唆に富んでいる。

 もうひとつ、二千年以上にわたって世界史の中でも特異な運命をたどった――その悲劇のピークがヒトラーナチス・ドイツによる大虐殺である――民族であるユダヤ人の生活や世界に対する見方の一端を、ごく普通のユダヤの家庭の、普通の少女の目を通して知ることができるということもこの本の特筆すべき魅力だと思う。少なくとも私には興味深かった。
 「ひとりのキリスト教徒のすることは、その人間ひとりの責任だが、ひとりのユダヤ人のすることはユダヤ人全体にはねかえってくる」という教訓がユダヤの人々に語り継がれているそうだ。
 あるとき、ドイツを逃げ延びオランダにやってきたユダヤ人は戦争が終わればドイツに戻るべきだという風潮があると知り、アンネもまたそれがどうやら真理であるらしいと認めざるを得ない。
 だが、「善良で、正直で、廉潔な人々」であるオランダ人までもが、ユダヤ人だというだけで色眼鏡で見るということにアンネは納得できない。大きなリスクが伴うのを承知で、アンネたちの隠れ家生活を支えてくれている人たちもまた愛すべきオランダの人たちだからだ。
 アンネはこう書いている。
 「わたしはオランダという国を愛しています。祖国を持たないユダヤ人であるわたしは、いままでこの国がわたしの祖国になってくれればいいと念願していました。いまもその気持ちに変わりはありません!」(1944年5月22日の日記)
 オランダを「美しい国」と呼ぶアンネの一番の願いは「ほんとうのオランダ人になりたい」(1944年4月11日の日記)ということだった。
 民族間の歴史的な確執は世界中に存在する。今後も存在し続けるだろう。個と個の間では軽々と乗り越えられることも多いのに、民族と民族、国家と国家の間ではしばしばそれは容易ではない。
 私がオランダ人なら、涙なしにアンネのこの言葉を聞くことは難しい。だが現実にはしばしばこういうことは起こりうる。

 「隠れ家」での2年にわたる逃避生活は、物質的にも精神的にも次第に困窮を極めていく。同じ戦時といっても、ユダヤ人でないオランダ人やドイツ人とは全く異なる苦しさだった。
 アンネの書きたかった大切なことのひとつが、そうした過酷な状況にあっても自分たちにはごく普通の日常があり、希望があったということなのである。
「毎週の最大の楽しみと言えば、一切れのレバーソーセージと、ばさばさのパンにつけて食べるジャム。それでもわたしたちはまだ生きていますし、こういうことを楽しんでいることさえちょくちょくあるくらいです」(1944年4月3日の日記)
 1944年7月22日の日記では、ヒットラー暗殺の未遂事件に触れ「やっとほんとうの勇気が湧いてきました。ついにすべてが好調に転じたという感じ」と希望を熱く語ってさえいた。
 しかし、私にはこの事件がアンネたち隠れ家の8人と支援者たちが連行される引き金になったという気がする。ヒトラーはさらに国内反対勢力への警戒を強め、ユダヤ人へのお角違いの憎悪を増幅させた可能性があるからだ。
 わずか2週間後の8月4日、車から降り立ったゲシュタポに連行され、数日後にはアウシュヴィッツに送られる。その後移送され、極度に衛生状態が悪かったというベルゲン=ベルゼン強制収容所で、数日前に先だった姉のマルゴーを追うように蔓延したチフスのためにアンネも亡くなったそうだ。1945年2月から3月の頃と推定され、これはイギリス軍による解放のわずか1か月前のことだという。
 8月1日付の最後の日記でも、自分の内に抱える矛盾について、アンネはいつもと同じようにどこか楽しげに思索を巡らしたり、アンネの快活さを揶揄する家族への不満を訴えたりしている。そのころにはもう危険が身近に迫りつつあることは間違いなく意識していたはずだ。いつも野菜を届けてくれていたオランダ人支援者が逮捕されるという事件が少し前に起こっており、アンネもまた大きなショックを受けていたのである。
 「隠れ家」にあっても、どこにでもいるごく普通の少女の日常の暮らしがあり、不満があり、笑いがあり、喜びがあったのだ。ただ毎日仔猫のように震えて、びくびく過ごしていただけではない。他人から見れば、短くて、悔しくて、辛いことも多かったかもしれないけれども15年余りの人生をきちんと生きていたのである。アンネはそのことを認めてほしかったのだろうと思うし、この日記がその何よりの証左ともなった。

 個人的には、以前読んだケルテース・イムレの「運命ではなく」で語られていた強制収容所での「不幸ばかりではない日常」の暮らしという感覚を、この日記を読んで再確認できたということにも意義があった。
(初出 BK-1 2009/06/27)

「宇宙生命、そして『人間圏』」 松井 孝典著

「地球にやさしい」という発想が、どれほど無理解で傲慢かということをみんなが知れば世界を少しは変えられるかもしれない。

宇宙生命、そして「人間圏」 (Wac bunko)
 著者の松井先生は、太陽系内の惑星(天体)の起源・進化・現状などを研究し、地球と比較検討することで、地球、さらには宇宙の成り立ちを究明する「比較惑星学」なる分野を切り拓いた世界的な惑星物理学者である。宇宙を研究するということには、必然的に、宇宙に生まれた私たち自身の出自を明らかにしたいという欲求が隠されているにちがいない。この本では、地球や宇宙についての驚きと発見にあふれた話に加えて、「人間(生命)はどこから生まれたか」「私とは何であるか」といった哲学的な問題に関する考察や「人間の未来」についての賢察が、宇宙や生命の歴史を踏まえて語られている。
 人間を中心とする世界??すなわち松井先生言うところの「人間圏」など、地球全体のシステムに包含される「サブシステム」にすぎない。したがって温暖化も食糧危機も人間が困るだけで、地球は何も困らない。46億年の歴史の中で、生命が絶滅に瀕する危機を地球は少なくとも7回以上経験しているという。先般のサミットでは、アメリカ、中国などこれまで温暖化に消極的な国々も積極的な姿勢を見せたが、日本を含め、そこで目標とされた数値など焼け石に水だということを世界中の人が理解すべきだ。
 また、人口100億になれば現在の豊かさ(1990年レベルのアメリカの食生活)を維持できるのはせいぜい100年だと松井先生は試算されている。この100年で世界の人口は4倍の60億となった。このまま行けば21世紀末には確実に100億となると小学生でも計算できる。つまり地球にとどまる限り、人類の未来はせいぜい200年ということになるのである。
(初出 BK-1 2007/06/21)

「サミング・アップ」  モーム著  行方 昭夫訳

この本の内容を1600字で紹介するのは不可能である

サミング・アップ (岩波文庫)
 「月と六ペンス」「人間の絆」は中学・高校の頃読んでいて、モームは好きな作家だったにもかかわらず、この本の存在をつい最近まで知らなかった。
 これはものすごい本である。64歳、当時としては人生の晩年と意識せざるを得ない年齢を迎えた大作家が、心残りなく人生を終えたいと願い、彼の人生と、人生をかけて考え続けた思考を総ざらえして1冊の本に纏め上げた−−すなわちサミング・アップ(要約)したものである。
 したがって内容は多岐にわたる。まずは彼の生い立ち。それから劇作ならびに芝居の世界についての本音。そして小説論。最後に宗教、哲学について。
 「人間とは何ぞや?」「世界は(宇宙は)どのように生まれ、これからどうなるのか」を知りたかったからこそ、モームは作家を目指したにちがいないのであり、こうした本を書きたいという野望に何の違和感もない。そして彼はそのための努力も怠らなかった。
 まず、その知識、経験の豊かさに愕然となる。実際に携わったのはわずか数年だったが、最初の職業は医者だった。彼はそこで、悲喜こもごもの患者の姿を観察し、心の動きを見つめ、人間の感情や思考について学んだ。その後戦争にも進んで従軍したが、新たな経験を積みたいという明確な意図があった。また、演劇界での成功は世界中を見て回るために十分な経済的な余裕を彼に与え、モームは最大限にそれを生かした。数ヶ国語に通じ、医学生だった彼は自然科学の基礎も身につけていた。アインシュタイン相対性理論ハイゼンベルク不確定性原理はこの本を書いた当時すでに発表されていて、モームも知っていた。その上で40歳を過ぎて、ほとんどの哲学書を読んだという。空いた口がふさがらない。
 しかし、この本が本当にすごいのはその正直さゆえであると私は思う。「誰にも自分についての全てを語ることは出来ない。自分の裸の姿を世間に見せようとした者が全ての真実を語らずに終わるのは、虚栄心のせいだけではない」とわざわざ断ってはいるが、ここまで率直に語ってくれていれば、それ以上望むことはもうあまりない。
 生きている人間や世の中について正直な意見を公に述べるのは、誰にとってもきわめて困難なことだろう。自らが命がけで掴み取った劇作や小説作法の核心をこれだけ正直に書き記すことも普通はありえない。ここに書かれているそれらのことは、どんな演劇論、小説論よりも真実であるにちがいないと私には思えた。年齢だけでなく戦争の予感といったものも影響していたのかもしれないが、後の人生は「もうけもの」といったような潔さを感じる。後世の読者にとっては奇跡のような贈り物である。
 ところで、人生は無意味であるが人はなかなかそのことを認めたがらない、というのがモームの結論である。また最善の人生は農民の人生だと思うとも書いている。私はこの意見にまったく同感である。そこに漁師を加えてもよいとも思うけれど。
さらに、一般的に価値があると信じられている宗教、真・善・美について仮説検証を重ねた結果、人間にとって唯一価値があるのは「善」だけであるようだとも書いている。それが正しいかどうかを今すぐ判断できない